Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/5

提供:Wikisource
このページは校正済みです

の良い女だつたのに――死ぬとは寧ろ不思議な感じがする。


 八月二十九日。

 六時半に今日は起きた。誰も起きてしまつてゐて、相変らず自分が一番どん尻だ。昨夜はカルモを飲んだためぐつすり眠ることが出来て、今日は大変気持が良い。体の調子も悪くないが、胃腸が弱いためだらう、今日も又腹下しをしてゐる。別段腹工合が悪いといふ訳でも……

   (この間大判ノート一枚破棄。――〈底本〉編者註)

……不可能のやうに思はれて、居ても立つてもゐられない苛立たしさを覚える。周囲は雑然と濁つて自分の神経の最後の一本までも粉々にしようとする。早く一人になりたい。たつた一人ぽつちになりたい。


 九月一日。

 雨が降る。長い間待つてゐた雨が。これ程長い間、せめて好きな雨でも降れば、この荒んだ気分もよくなるであらうと思つてゐたのに、やつぱり気分は晴れぬ。何故かそはそはして気分は落着きを失ひ、ものを書く気にもならぬ。

 野球のA・B戦も雨のため出来ずなつてしまつた。明日からは九号病室へ附添に行かねばならない。N・K君の代りに。九時頃交付所へ金を下げに行く。一金五円也。画用紙に印刷された一円札五枚。これを見ると情なくも、肩味の狭い思ひもする。帰りに二十銭菓子を買つて来て食ふ。それから早速『プルウスト研究』第二輯、阿部知二氏の『文学の考察』のニ冊を振替で出す。早く来ればいいにと、はや待遠しい思ひでならぬ。

 昼から礼拝堂で震災記念につき、院長の講話があつた。行つても大したことはあるまいと思つたので、自分は行かなかつた。夕方妙義舎の鈴木君が風邪にやられて熱を出してゐるといふので見舞ひに行き、氷嚢を吊したり氷枕を頭の下に入れたりするのを手伝ふ。それからH君と原田氏と、その他妙義舎の人達と暫く話す。熱は三十九度程あるので、鈴木君は丸きり力がなく、大変苦しさうであつた。それから種々病気のことについて話すうちにこんなのがあつた。

「中耳炎になつた場合、後頭部からの手術はこの病院では出来ない。」

「それでは外へ出て手術を受けることが出来るか?」

「恐らく外へは出すまい。」

「それではどうなる?」

「見殺しだ。」

 この言葉に自分は戦慄した。光岡君が妙に悲しげな声で何か言ひながら、僕の尻を突いた。

「おいどうだい?」と言つたのであらう。僕は何とも答へやうがなかつたので黙つてゐた。

 暫く小降りになつてゐた雨がその時又沛然はいぜんと降つて来た。そして自分達は黙つた。部屋の中が妙に淋しくなつて来た。僕は死といふものが、すぐ近くまで来てゐるのではないかと思つて不安を覚えた。その刹那、Y子の死が急に思ひ出され、妙に彼女の死んでゐる姿が美しく思ひ浮んだ。胸のあたりはまだ元のやうに肉づきが良く、心臓は静かに上下してゐる。さういふ風な彼女が横に臥つてゐる姿が眼にちらついた。やがて自分達は帰つて来た。


 九月二日。

 朝雨が降つてそれから止んだ。だが曇天で今にも降り出しさうであつた。今日から九号病室へ附添に来た。ベッドの数は十九、当直寝台と空きべッドが一つづつ。病人の数は十七人。自分は空きベッドを使用することにした。

 十二時頃光岡君に会ひ、A・B戦があるから出て呉れと言ふ。自分はおかず取りだつたので暇がある。それで出ることにした。

 A・B戦は1対1で引分けの好成績だつた。A・B戦が終る頃、所沢から Kotobuki といふチームが来て〔オール〕全生で戦ふことになつた。自分は一塁を守り、投手はYがやつた。が結局Ⅳ対Ⅲで敗退した。

 体がぐつたり疲れてしまひ、それに明日は当直なので八時頃ベッドに這入つた。けれど睡られない。看護婦の中野さんが、もう一人名前の知らない〔ひと〕を連れて来た。カルモを下さいと言つたが、もう品切れだと言ふ。それでは何か眠る良い方法はないかと言ふと、葱を枕許に置いて寝ろと言ふ。それなら医局に葱があるかと言ふと、医局にはないと言ふ。笑ひながら横になつたが、眠つたのは一時近くだつた。


 九月三日。

 今日は当直である。朝から大変忙しい。けれど何か新しいものを、新しい発見をと願つて来た病室であつた。どんなに忙しくとも自分の観察眼は曇らない。便所に行