Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/6

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くことも、煙草を吸ふことも出来ぬ病人達と接触しつつ自分の眼は、心理は、いよいよ緊張した。そしてその刹那々々の彼等の心理の動き、光景、その他の凡てを自分の心の中に書き込んだ。勝利の日である。


 今日起きたのは五時半頃である。雨は降つてゐたが昼頃になつて止み、空の薄い雲を照して太陽の光線がぼやけて、地上を照してゐたが、夕方になつて再び降り始め、やがて夜近くなる頃は止んだ。今日の仕事を初めから書き留めてみよう。


五時十五分頃 配給所へおかず取り。

七時頃 昨日の当直のものと代り、室を自分に渡される。

七時半頃より 室内の掃除 (初めて使ふボンテンに汗をかいた。)

八時頃 S君遊びに来る。病人中盲目なるもの四人に煙草を吸はせる。

八時半頃 五十嵐先生の所で太陽灯をかける。

九時頃 お茶を患者達に飲ませる。煙草を吸はせる。

十時頃 外科来る。繃帯を解いてやる。悪臭甚し。

十時半頃 掃除。それから昼飯を食はせる。煙草を吸はせる。

十一時半頃 お茶を飲ませる。湯ざましを与へる。卵が来たので、皆んなに配る。

十二時半頃 掃除。

一時頃 ニンニクの皮をむかされる。臭い上に眼が痛む。


 右書いて来ると、大変睡くなる。横になつてゐるうちに、何も判らなくなつてしまつた。


 九月七日。

 又しても自分の才能の無さが痛切に感ぜられて泣き出したいやうな気持になつて来た。さうなると「一週間」の今まで書いた三十五枚も急にひからびて灰色になり、こんなものを書いて嬉んでゐる自分の浅ましさが激しく自分を軽蔑し出して、今度光岡君や於泉君に会つたらどんな面したらいいかと、人知れず赤面して、言ふべからざる不安と焦燥と切なさを覚えた。

 雑誌『文藝』の懸賞小説を書かうと思つて「若い妻」の構想を考へたけれど、一体どのやうに書いたらいいのか、何にしてもとても自分には書けさうになく思はれ、それと同時に、もし自分の病気が良くなつて外へ出るとしたなら、一体自分はどうして生活して行つたらいいのか、この生垣一歩外は、闇と喚声と争闘の絶え間のない連続ではないか。

 文学だ詩だ唄だと言つたとて、自分にはこの垣一歩外へ出れば、はや社会の嵐にふるへ上つてしまはねばならぬのではあるまいか。このやうに考へるといふのも書かうと思つてゐる「若い妻」といふ小説が、かうした社会不安の雰囲気だからだ。

 見るがよいこの病室のさまを。一体この中に一人だつて息の通つてゐる生きた人間が居るか! 誰も彼も死んでゐる。凡てが灰色で死の色だ。

 ここには流動するたくましさも、希望に充ちた息吹きの音もない。

 いやそれどころか、一匹の人間だつてゐないのだ。そして自分もその中の一個なのだ。神も仏もいいだらう。だが神だ仏だと言つてゐる人達に、どれだけの生活力があると言ふのだ。それはただバイブルの中から拾ひ出された死んだ文字に過ぎぬのだ。そんな人達がこの全人間といふ問題にどれだけたづさはり得る権利があるのだ。社会と関係がない。それこそ最早死んでしまつた為なのだ。いや死んでしまつてゐることを証明するものだ。そしてそれは生きた人間とも関係がないんだ。これ程悲しいことがあるだらうか。

 ああ俺は死んだ。死んだ。死んだ。


 九月八日。

 第二回目の当直である。幾らか馴れた。「若い妻」が書きたくて仕様がない。けれど忙しくて考へる暇がない。朝から病室の中を駈け廻つてゐるため、ぐつたり疲れ切つてしまつた。この日記を書くのすらひどく面倒くさくてならぬ。


 九月十二日。

 遂に神経衰弱と診断されてしまつた。自分の神経が衰弱してゐることはずつと以前から気づいてゐたし、亀戸にゐた頃からさうであつたことは、例の強迫神経症になつた頃から判つてゐた。勿論強迫神経症といふ症状からして、それであることは判り切つてゐる。何にしても自分が病的になつてゐることは判つてゐる。このまま押し進めて行けばきつと狂人になるとは知れ切つてゐるが、