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ら寝台の上で寝て暮す。夏ともなれば姐が湧き、冬ともなれば死んぢまふ。それ、焼場で鐘が鳴つてゐる。北條民雄が死んだのだ。


 三月二十三日。

 富にも女にも酒にも名声にも離れるより他にない。しかしそれから離れたら、人間果して生きられるだらうか。

 フロオベルの書簡を読む。フロオベルだつて随分幸福であつたのだ。あれで自分を不幸者としてゐるとは、さてさて人間といふ奴は……。


 三月二十四日。

 考へてみると、俺は今まで、自分の中にある死にたいといふ慾望と、生きたいといふ慾望とに挟まれて、もだえてばかりゐたのだ。

 小説を書くのを止してしまひたい。しかし書くのを止せば、一体どうして毎日が過せるか。気が狂ふだけではないか。厭でも応でも小説を書く宿命を負はされてゐるのであらうか。


 三月二十五日。

 昨夜は遂に一睡も出来なかつたので、今日は一日中ぼんやりとしてゐた。原稿はまるではかどらず、体は綿のやうに疲れてゐる。

×

 どこからも手紙が来ず、淋しい一日だつた。

×

 もう四月がそこまで来た。春といふものがあるのである。だが、ああなんといふ暗い春か。

 夜は死ぬことばかり考へる。色々と計画する。果して死ねるかどうか?


 三月二十六日。

 とにかくこの小説は書き上げてしまはうと思ふ。題は「道化芝居」とつけた。少し古いが、これでよい。一日書き続け、やつと六枚。全部で三十六枚と三行になつた。

 表現も何も考へぬ。熱で書かう。

 夜、お湯からあがつて来て久々で髪を梳き、油をつけて机の前に坐る。しかし書けぬ。また例の憂愁が襲つて来る。心が暗鬱に閉ざされて、大声で慟哭したい。しかし泣いて見たとてはじまらぬと思ひ、自殺の方法その他を考へる。机の中から赤い絹紐を取り出して、ためしに首を締めてみる。縊つて締めるのはあまり呼吸にさしさはりがないが、顎に引つかけて引き上げるとわけなく呼吸がつまる。


 三月二十七日。

 『文學界』四月号、待てども遂に来ず。勿論文藝春秋社からは発送されてゐるに定つてゐる。しかし俺の手許までは届かないのだ。………にストップしてゐるのだ。これで『文學界』の来ないこと二度。前には「柊の垣のうちから」を載せた十一月号だ。あの雑誌では式場氏に電報をうつたりして迷惑をかけた。「癩院受胎」の載つた 『中央公論』は一日遅れて手に入つた。その他手紙などの遅れることは枚挙にいとまあらず。なんといふ……であらう。あの……………………が浮んで来る。いつそ叩き殺して俺も死んでしまはうか? 四月号は東條耿一の名で買つて貰つた。こんなことを考へるともう仕事も手につかぬ。………………焼き払つてしまひたくなる。ああ原稿は検閲を受けねばならんのだ。

 しかし…………よ、……は余にこれだけの侮辱を与へてそれで楽しいのか?

 しかしこんなことを言つたとて解る……ではない。彼等の頭は不死身なのだ。低俗なる頭には全く手のつけやうもない。

 Uの文章を読むと、………は癩文学を保護してゐるのださうだ。笑はせやがる。Uには二度会つたことがあるが、愚劣極る男だ。私も十二年癩文学のために努力して来ましたよと、何度もくり返して平然としてゐられる男だ。誠にもつて…………………にはろくな人間がをらぬ。


 四月二日。

 原稿を書けば検閲を考へて苦しまねばならず、手紙を書けば向うへ着いてゐるかどうか心配せねばならず、雑誌に作品が載れば雑誌を買ふのに気をもまねばならぬ。なんといふことだ、なんといふことだ。

 のびのびとした、平和な、自由な、なんのさしさはりもない気持で作品を書きたい。日々を送りたい。その上に病気の苦痛は否応なく迫つて来る。


 四月三日。

 「道化芝居」八十六枚となる。なんとなく小説の恰好をしてゐないやうな気がする。が、小説にならなければならぬといふことはないのだ。