憂鬱になる。
二月十一日。
昨夜の不眠がたたつて今朝は睡くてたまらなかつた。朝食後ぼんやりした気持で窓外を眺めてゐると、急に九号病室の方で死亡通知の鐘の音が聞え出した。また誰か死んだのだ。寒いうちが最も死亡者が多い。地球が冷えかかるからであらうか? 九時頃になつて死体を乗せた担架が窓下を通つて行つた。担架を中にして、二三十名の患者達がぞろぞろと従つて行つた。今日の中に解剖され、明朝は野辺送りであらう。空はどんより曇つて陰鬱である。昼食後、散歩に出かけて於泉の所に寄り、久振りで碁を打つて見る。二勝一敗。夜、また不意に奇怪な不安と絶望とが蘇つて来てたまらない気持になつて来る。室内の悪臭が鼻につき始め、泣き出しでもしなければもう居ても立つてもゐられない。で、また廊下をぐるぐると散歩に出かける。歩き廻ることだけが僅かの救ひである。歩き廻るとは何か? それは自己の肉体を持て余し、どうしやうもなくなつた場合に於ける一種の身振りである。
読書、ドストエフスキー『妻への書簡』。
二月十二日。
昨夜はどうしても睡れず (といつて毎夜二時過ぎまで眠れぬのであるが) 肩が凝り、全身が硬直したやうになつて痛くてたまらず、午前二時頃起き上つてベッドの上で体操を始める。両手、首、上体の運動を二十分くらゐする。
三月六日。
久々で病院を出て来た。だが、もうあの病院へ這入つてから帰省するのはこれで三度目である故、何の刺戟も受けない。
東京は例の如く平凡にて、退屈するより他はなんとも致方なき所なり。一日の出来事など記しても詮なし。
夜、××の旅館で泊る。原稿紙を出してみたが、何も書きたくない。
なんといふ平凡な、陳腐な、そして憂鬱な人生であらう。生きてゐることの味けなさ、つまらなさ、一晚中死ぬことばかりを考へる。(××の宿屋で)
三月七日。
なんのために出て来たのか、さつぱり判らぬ。田舎へなんぞ行きたくもないし、それかといつて東京にゐる気もせぬ。我が身の消えてなくなることだけが今は救ひであるのかも知れぬ。トランクの中に、マクス・スチルナアを入れて来た。これはよかつた。俺はなにものにも無関心だ。孤独々々。だがなんとなく草津の山へ行くのも嫌でならぬ。今夜は××でも買つてみませうか。
九時頃、Uの所へ出かけ、彼の妻君を加へ三人で映画を見た。石川達三氏原作の「蒼氓」。力作である。実に立派な出来と感心する。とりわけ子供の描写の素晴しさは今もなほ生々しい力をもつて心の中に焼きついてゐる。
夜、汽車に乗り、一晚中揺られ続けて一睡も出来ず××に着いた時には文字通りへトへトなり。波止場から海を眺めたが、何の感じもない。なんだか頭が白痴のやうになつてゐる。これは決して汽車の疲れのみではない。ここまで来たが、やつぱり田舎へ行く気が起つて来ない。なんとなく空しく不安で、心が落着かぬ。いつそこのまま東京へ引つかへしてしまはうと思ひ、東京行きの切符を買ふ。が、東京へ行くのには余りに疲れてゐる。で、宿を求め、昼間からぐつすり眠つた。今日はここで一泊し、明日は東京へ引き上げる。なんのためにこんな××くんだりまで来たのか判らぬ。今の自分の気持は一体なんであらう。自分でも判らぬ。ただ淋しいのだ。切ないのだ。人生が嫌なのだ。
三月二十日。
才能とは、厭ふべき特権なり、とシエストフは言つた。
三月二十一日。
今は一輪の花、一羽の小雀を与へよ。
さらば我は天使の如く生きん。
三月二十二日。
先づ盲目になる。それから指も足も感覚がなくなる。続いて顔、手、足に疵が出来る。目玉をえぐり抜く。指の爪が全部落ちる。頭のてつぺんに穴があき、そこから膿がだらだらと出る。向う脛に谷のやうな深い長い疵が出来る。包帯の間にフォークを挟んで飯を食ふ。鼻血がだらだらと茶碗の中に流れ落ち、真赤に染まつた飯を食ふ。さてそのうちに