創元社からも川端さんからも返事なし。果して向うに着いてゐるのかどうか疑はしい。さう考へると腹が立つて来て仕事をやめてしまふ。………を呪ひたくなる。この原稿だつて……、……、…………に見せなくちやならんのだ。俺が全身をぶち込んだ作を、彼等はまるで卑俗な品物のやうに取り扱ふのだ。そして勝手に赤線など引いて返すのだ。しかもあの頭脳低劣なる、文学の………も判らぬ連中なのだ。ああ屈辱の日々よ。
八月九日。
六時十分起床。
朝食後仕事にかかり昼までに四枚、昼から五枚半、都合今日の仕事は九枚半である。心楽し。昼、西瓜を持つて光岡を見舞ふ。彼は大分元気が出たやうだ。
夕方T君と共に労働風呂に出かけ、お互に体を流し合ふ。T君は…・……事件の…………に活躍し、北満国境に送られて一ヶ年守備隊にゐたといふ。今年二十四歳、余と同年なり。
夜、於泉信夫を訪ね、碁の話に花を咲かせる。さて明日もまた十枚は書くこと。今は九時四十分なり。
八月十日。
昨夜作品のことを考へてゐると興奮してしまひ、一時になつても睡れぬので、思ひ切つて睡眠薬を服用。そのためか今朝は頭が重く、体がだるくてまるで仕事にならない。で、あきらめて注射場へ出かけ、久しぶりで大楓子油五
午後三枚ばかり書く。締切は二十日であるが、検閲に三日、郵便に一日の時間が取られるので、どうしても十五日までには仕上げねばならない。
随筆が書きたくてならぬ。
花園を散歩する。今は、百日草、カンナ、ダリヤ、グラヂオラス等盛りなり。
胃腸は依然悪く、今日も下痢。しかも今日の献立は、朝の味噌汁はまあ別としても、
昼、ハゼの佃煮。
夜、こんにやくと大根のごつた煮。
食ふものなし。夕方風呂に出かけたが、石道の上を歩くと腹にひびいて苦し。
八月十一日。
体の調子悪く仕事にならず。下痢。
頭重く、苛立たし。夕方、於泉信夫来るも物言ふ気力なし。
八月十二日。
六時起床。
午前中に二枚、午後また二枚書く。全部で都合三十六枚になつた。あと十四五枚で終るだらう。
頭重し。下痢。
昼寝してゐると小林秀雄氏の夢を見て苦笑する。
夕方、T、K両君と共に風呂に行く。風呂に這入るのが唯一の楽しみなり。
夜、光岡を六号病室に見舞ふ。東條、於泉来り、西瓜を喰つて雑談。八号では百合舎の女の子が死にかかつてゐる。脈は百四十、体温四十二度なり。帰つて来て床をとる。八時が鳴る。今日もまた一日終つた。生気のない灰色の一日――。
こんな日が何年も何年も続くことだらう。
八月十三日。
六時十分起床。
朝のうち五枚執筆。
ここ二三日、良い音楽が聴きたくてしやうがない。ドストエフスキーの『白痴』を読み出した。以前読んだ時はなんだか面白くなかつたが、今度はばかに面白い。
誰か良い音楽を聴かせてくれないかな。じつと耳を澄ませて聴いてゐたら、どんなにいいだらうなあ。
夜、東條と人生論。今更の如く彼の苦悩に驚き、しみじみ深い尊敬を覚える。私は良い友を持つた。幸福である。
八月十四日。
四時二十分、起床。外はまだ仄暗い。散歩をする。花園ではまだ花々が霧の中に眠つてゐる。五時より七時までに一枚書く。一行毎に窓の空が明るくなるのも楽しみである。初めは黄色く、次に金色に、やがて白金のやうな鋭い光線が窓にさし込む。
七時朝食。八時より九時半まで仕事。三十分休息してまた始める。今の自分の体力では二時間続けて仕事することが出来ない。今日は全部で七枚、明日は朝のうちに完成するつもり。