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ひ、……の態度といひ、今夜の………の態度といひ、凡て侮辱に満ちてゐる。俺は今夜こそは泣き出したいばかりであつた。それは下らないちよつとしたことだ。今までにもこんなことはもう何度もあつた。しかし今夜は実にたまらなかつた。昨日記したことは全部嘘だ。俺は何よりも侮辱を受けることがたまらないのだ。

 俺はもう今後自己を卑下することは一切止す。俺は断じて彼等と同一ではない。俺は彼等如きと同日に談じられる人間ではないのだ。俺の頭脳は彼等よりはるかに優れてをり、俺は彼等の手のとどかぬところで苦悶する人間である。彼等凡俗に俺が判つてたまるものか。

 至高孤独の精神に生きるべし。


 二月六日。

 川端さんより来信。重病室日誌を書けとのこと。

 夜、東條耿一、光岡良二来る。東條は早くかへり、光岡は九時過ぎまでゐる。政治・文学・哲学・人世・社会、百般を語る。

 十時頃、自分から三つばかり離れた寝台にゐるノドキリ氏苦しみ始める。力ニューレの下の方に何かが引つかかつて呼吸困難に陥ちたのである。だが他の連中はその苦しむさまを眺めてげらげらと笑つてゐる。Yの如きはその横にゐて苦しむ様の真似をしてゐる有様である。彼等は隣りの者がどんな生死の境に苦しんでゐても、平然たるものであるのみでなく、滑稽にすら思つてゐるのだ。


 二月七日。

 終日霖雨降り、佗しき一日なり。

 訪客なく、終日横 (た) はつて暮す。

 暫く逢はないうちに鮮人の文さんが盲目になつてゐる。「前から山でもぶつかつて来るやうで危くて歩けやしない。」と彼は語る。

 昼頃、隣り寝台の李さんが、職工手帳を出して私に見ろといふ。

「……………修繕工場職工手帳、鋳工」と表紙に印刷してある。もうぼろぼろになつてをり、それをところどころはりつけて入念に手入れしてある。彼はそれを眺めてゐる私に向つて得意気にニヤリとする。これが彼の過去の凡てであり、彼の現在はこの手帳に支へられてゐるのである。


 二月八日。

 昨日からの霖雨がやまず、今日も午前中はしよぼしよぼと降り続き、午後になつてやうやく止んだ。頭がひどく重苦しく、侘しく陰鬱でならなかつた。かういふ日はちよつとでも気に触 (障) ることがあると、もうむつと腹が立つて、物をいふのも嫌になる。

 三時半頃於泉信夫が来て、ホーレン草をうでて呉れた。彼の作としては上出来なり。

 四時半頃からやうやく雲が動き始め、空のところどころに青い穴が開いて行く。その曇天の穴から、落ちかかつた太陽の光線がさつと射し出て来る。私は生きかへつたやうな気持になつて、なんだか友が恋しくなつて来る。お喋りがしたくなつたのだ。(午後四時半記)


 二月九日。晴。

 眼をさますと朝日がさつと射し込んで来て、真蒼な空が見える。青空! これを見た瞬間、なんとなく気持が明るくなり、何時もうるさく腹の立つラヂオ体操さへが、うれしく楽しく聴える。生きてゐるといふことが今朝ほどうれしかつたことはない。珍しい気持だ。隣りのMさんが眼の手術をして来た。絶対安静とのこと。が、その横でYは下劣な女の話をしながらMさんをからかつてゐる。右隣りの李さんが不意に、「天の神よ、一日も早く私を天国に連れて行つて、あなたの所へ置いて下さいませ。アーメン。」と祈りを始める。十二時頃から光岡良二の所へ遊びに行く。二時間ばかり話す。夜、東條耿一来る。

 ノド掃除のことをH附添夫は鉄管掃除と呼ぶ。

 読書――小林秀雄「続々文芸評論」。ドストエフスキー『妻への書簡』。


 二月十日。

 痛み全くとまり朝から良い気持である。Mさんも工合が良いと見えて、いくらか冗談を言ふやうになつた。外科治療日のこととて、午前中は読書も出来なかつた。午後M君が来たので二人で舎へ出かけて見る。久振りに書棚の前に坐つてみる。帰りに図書館に寄つて新聞を見る。もう六十日も見なかつた新聞であるが、別段気にかかることも書いてない。文芸襴も勿論覗いて見たが、ここも十年一日の如く、誰もみな間に合せの議論と見えた。誰が書いてゐたのか名前も思ひ出せない。新刊紹介に自分の本のことを書いてあるのを見て、うんざりして不快になる。近頃あの本のことを思ふたびに嫌な気持になつて