コンテンツにスキップ

Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/42

提供:Wikisource
このページは校正済みです

 近頃便秘が始まつて腹工合が悪くてならぬ。

 少し本を読んだ。何か随筆が書きたい。入室はよした。


 一月十一日。

 痛みがやうやく止つたので、床をあげる。午前中東條の所へ遊びに行く。寒いので頰かむりをして行く。怪しげな恰好だと言つて笑はれた。

 昼からは机の前に坐つて、ぼんやりと過す。どうしても気持が熟して来ないので、小説が書き出せない。この小(註1)は自信がある。だからこれを考へてゐると、自然痛快な気持になつて来る。早く書きたし。三百枚くらゐの予定である。

 夜少し痛んだ。注射をうちに看護婦Mが来た。テト〇・三をやつて貰ふ。


 一月十二日。

 九時頃床の中でうつらうつらしてゐると、突然斎藤看護婦に呼ばれた。寝衣のまま出て見ると、かねて頼んであつたレコードを持つて来て呉れたのであつた。

 於泉の所へ遊びに行く。雑談二時間。昼食後故郷の父と上村君とに手紙を書く。後レコードをかけて一人楽しむ。永いこと音楽を聴かなかつたせゐであらう、急に体の調子が生き生きして来て、便が出たくなつた。音楽で便秘が癒つたのは痛快なり。

 川端さんと中村光夫氏より来信。中村氏よりはそれに小包で『二葉亭論』と『ベラミ』を送つて貰つた。中村氏は実に立派な批評家なり。


 一月十三日。

 『二葉亭論』読了。

 夜、東條耿一来る。

 床につくと又痛み出した。


 一月十四日。

 また床を出して、一日寝て暮す。

 この調子では冬中何も出来ないのではあるまいかと思はれて、少々悲観。午前中於泉信夫、東條耿一来り、ガチャガチャとレコードを鳴らせてうるさし。


 一月十五日。

 『文學界』二月号を読む。

 座談会は今までのうち第一の出来なり。小林秀雄氏の身振りに同感す。亀井勝一郎氏の時評立派なり。小説は読まず。

 夜、『ベラミ』を読み始めしもすぐ嫌になる。

 七時頃、H看護婦来り注射。明方に痛み激し。


 一月十六日。

 床の中で暮す。

 無意味な一日なり。苛立たし。


 一月十七日。

 一日床の中で例の如し。

 午後、式場隆三郎氏突然来訪さる。試験室まで出掛ける。四十四五歳に見える良く肥えた人なり。流石に第一流の人なれば語気温和にして、自分如き者に対しても、恰も友人の如し。心より敬愛の念湧けり。本病院の医師日東氏の師とか。


 一月二十二日。

 日東氏がお手紙を呉れた。目下学位論文を作製中とか。元気のいい文面なり。式場氏よりお手紙にて、北條によろしくと伝言ありとある。返事を書く。

 神経痛全快せず。夜、注射。


 一月二十三日。

 相変らず同じやうな一日なり。

 光岡良二来る。夜、注射。小説のことしきりに頭の中を往来す。


 一月二十四日。

 於泉信夫が『アンナ・カレーニナ』を返して来た。今朝四時頃から七時頃まで疼痛激しく、唸り続けた。痛む時はうんうん唸ることが僅かの救ひなり。おまけに左腕の神経が脹れて来た。このうへ右まで痛み出しては堪らんがどうも致方なし。


 一月二十八日。

 民衆から……を奪つたら後に何が残るか。なんにも残りはしないのだ。彼等はこの言葉の中に自己の心の在り場所を求めようとしてゐる。それは何千年かの間に築かれた××であるにしろ、しかし彼等はこの……によつて心の安定を得てゐるのだ。それは国家そのものに対する態度である。現在の彼等にとつては、これのみが残され