Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/41

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ふ下手くそな字を書くんだらう。俺も下手だが、まだ下手だ。まるで字になつてゐないのがある。しかしこの下手なところがまたなんとなく面白い。氏はまだ大学を出たばかりで、あまり世俗的な苦労をしたことのない人に違ひない。なんとなく良家に育つた学生を思はせるものが手紙の中に流れてゐる。世俗の垢がついてゐない。俺は世俗の垢だらけ。

 しかし良い友人が出来て全くうれしい。早速また手紙を書きたくてしやうがないが、また次にしよう。

 中村氏の手紙と一緒に小包が一つ来た。誰からだらうと思つて見ると、創元社の小林茂氏からのお見舞品だ。

 東條を呼んで来て二人で頂戴する。その時東條の言ふには、彼の妹が俺のことを想つてゐるんださうだ。返事のしやうがない。俺は結婚したいが、精系手術のことを考へたらいやになつちまふ。

 今日はばかに良いことばかりのある日だ。

 今十一時が鳴つた。ローソクの火の下で書く。



一九三七年 (昭和十二年)

北條民雄

 一月一日。

 昨夜から神経痛と急性結節にて元日から床の中にゐる。

 東條耿一が酒を飲んでやつて来た。

 光岡良二、於泉信夫が見舞ひに来た。

 式場氏 (『文學界』編輯部) より賀状。

 佐藤君よりパンを送つて来た。夜は神経痛激しく、加ふるに両肩が痛み、横向きに寝ても仰向いても、どうしても痛くてたまらぬ。その上に例の神経症的な全身ケイレンが連続して、文字通り七転八倒であつた。実にみじめな正月なり。於泉に二度按摩をしてもらふ。これは寝ながら書いてゐる。


 一月二日。

 今日も一日床の中で暮した。

 S君より来信あり、彼がなつかしい。手紙の様子ではS子さんと喧嘩をしたらしい。痛みは相変らずである。

 夜、東條耿一来る。昨日の勢ひはなく、しよげてゐる。そして禁酒したといふ。

 痛いので小説も読めず、考へることも出来ず、残念である。手袋をはめて床の中であるから、日記も書けない。腹が立つ。


 一月三日。

 今日は大分調子が良かつたが、それでも一日床の中で暮す。嫌になつた。

 昼頃、原田樫子、光岡良二来る。書初をして帰る。

病眼閉して万人を憐れむ 樫子

勁剛の神経、駿鋭の感覚、不逞の心魂 良二

 原田氏は流石に立派な字であるが、光岡のは高等小学二年生の習字といふ恰好である。二人のを見てゐると急に自分も書きたくなつたので、手袋をはめたまま書いてみる。指の自由を失つてゐるし、元来下手くそと来てゐるので怪しげな字である。

実に静かな新年であつた。これで良い。 民雄

 夜は誰も来ず、なんとなく淋しくてならぬ。


 一月四日。

 昨日案外良いと思つたが、今日は猛烈に痛む。

 十一時頃、五十嵐女医来診。

 ベッドが空いてをらぬので十日頃まで入室出来まい、とのことである。

 二時頃、東條耿一が来た。

 腕の中が焼けるやうである。この分ではなかなか良くなるまい。小説を書けんのが残念である。夜、光岡良二が来た。

 看護婦が来、注射。テトロドトキシン〇・五、カルボール〇・五。


 一月十日。

 痛みが激しく今日まで日記が書けなかつたが、今日は大変良い。

 朝、光岡良二来り、力ニ缶を開いて食ふ。

 川端さんと創元社とに手紙を出した。

 午後、東條耿一来る。『文學界』の二月号に彼の詩が載つた。めでたし。

 夜、於泉信夫来る。