Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/24

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彼を買ひ被つたのだ。この前に彼がここを出て文学修業すると言つた時、僕はすつかり有頂天になつてしまつた。今考へると恥しくなり、情なくなる。こんな男にとつて何が文学だ。あの時だつて、唯ちよつとそんな風に思つて見ただけなんだらう。その証拠に一週間も院外の空気を吸つて来ると、もうぬらりくらりと帰つて来てゐるぢやないか。ああ、それにしてもこの院内の文学、それはなんといふ情ないものだらう。猫も杓子も、といふが、全く字義通り猫も杓子も文芸だ。春秋には短歌会だ俳句会だと、外の一流 (?) の先生が来る。そしてその秀作には郵便はがき一枚也だ。彼等はその郵便はがきを取ることを最高の光栄と考へ、出汁滓のやうな頭を搾つてゐる。そして天晴れ俳人歌人気取りで院内を横行する。なんといふ浅ましさだ。情なさだ! 恐らくここの事務長はこの病院へ来て驚いたらう。余りにも禦し易い輩ばかりであることに。

「諸君は癩なるが故にかかる高尚なる趣味を得ることが出来たのです。そして諸君は、この恐るべき病苦をものともせず、尚ししとしてより高き情操生活を持たんと努力し、苦悶されてゐるのです。我々は、そのみなさん (ここでは特別にみなさんと優しさうに言ふに定つてゐるのだ) の苦悶 (力を入れて) の前に衷心より頭を下げます。」

 そして家に帰ると、先づめでたしめでたしと盃を干すだらう。そして人に会へば、「患者はおだてて置くに限るのだ。まあ一種の豚だね」と! 事務長はここへ来るまで内務省にゐたといふから、社会といふものが何に支配され、何によつて動き、それに対して自分の態度はどう定めるべきであるか、といふことを、この資本主義の律法下に於ける処世哲学を、誰よりも明瞭に認識してゐるであらう。東條よ、色々の行事の時などに、あの一番高い上座 (?) に坐る連中の貌を見ると、どんな感じがするか。僕は痛切に狸面だと思ふのだ。僕は何時でも激しい屈辱を感ずるのだ。

 おお屈辱の歴史その日閉づる

 と唄つた過去。

 三・一五恨みの日 我等は君に誓ふ 党のため仆れたる君渡政に誓ふ 武装には武装もて 血潮には血潮もて

 大胆に復警せん

 と唄つた時のこと、あの大衆のどよめき、唄声、メーデー、騎馬巡査、さういつたものが切々と心に蘇つて来るのだ。けれどどうしやうもない。僕達はブルジョワといふ敵と更に病気といふ敵があるのだ。

 さうだ、僕達はせめて文学を、正しい文学を守らう。ああ、だが、僕達は彼等に捕はれてゐる。どうしたらいいか? 僕は考へよう。生涯かかつても考へよう。


 ここまで書いて、ふと気づくと、日記を書いてゐるのである。こいつはいけない。先を急がう。

 さてK・Fと三人でははるなへ行く気がしない。踊りでも見ようかと歩き出すと、

「近頃君達も粋な所へ遊びに行けるやうになつたぢやないか。」

 僕と東條が二度ばかりはるなへ二人で行つた、そのことの皮肉なのだ。生意気な! と僕はぐつと胸に癪が突き上つて来る。なめやがるな‼ と思ふ。それ程彼のその時の言葉や態度には、二人を嘲笑するものが見えるのだ。眉毛が丸切りなく、おまけに片方義眼の彼が、ぐにやりぐにやりと肩を揺らせて笑ふのだ。東條も腹が立つたのか、押し黙つてゐる。僕は胸くそが悪くなつて来た。僕はにやにや笑ひながら、

〔ゆふべ〕はるなで於泉と文章論をやつたつてぢやないか。」

 と逆襲してやる。今日の昼間Eさんにそのことを聞いてゐたのだ。俺は文士だといつたやうな面で得意になつて言つたことだらう。定めし怪しげな文章論で女達を驚かせたことだらう。僕は例のやうににやにやと笑ひながら彼の様子を窺つてゐると、彼は、え? つママと訊きかへし、急にぎごちない笑ひを強ひて笑ひながら、「於泉が……ちよつと。」と可哀想な程に懸命に弁解する。インチキニヒリスト (彼にあつてはニヒルとは無気力、怠惰と訳すのか) の化の皮がはがれる。しかし、ふと僕はなんだつてこんな奴に向つて逆襲したりしたんだらうと、自分の愚さが情なくなる。問題にならんぢやないか。つまらん、つまらん。

 踊りもつまらない。帰らうと歩き出すと東條も来る。K・Fは来ない。腹を立てたかも知れぬ。もう九時を過ぎたであらう。二人は藤蔭寮の横の芝生の上で寝転び、星を眺める。夜露にしつとり沈んだ芝生はつめたい。疲れた足をながながと伸し、「つかれたよ」と僕が言ふ。彼も相槌を打つ。言葉がない。黙つて二人は空を眺めてゐる。「あゝ流星」と低い声で不意に彼が言ふ。僕は急いでその方を見る。流れ星はもう消え去つて、ただ深い空の底で無数の星が瞬いてゐる。またしても無言。暫く