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Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/23

提供:Wikisource
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まふべきなんだ。しかも僕は死に切れなかつたんだ。生きてゐるんだ。そして自らを愛してゐるのだ。どうしたらいいのだ。どうしたらいいのだ。僕は時々マルクシズムを信じ切れなくなるのだ。しかしそのたびにあの正しい社会観を思ひ出して、僕はもう身動きも出来なくなるのだ。君は僕の近頃の生活の中になん等マルキストらしいものを見ないだらう。それは当然だ。僕は僕個人と、社会との間に造られた、深い洞窟に墜落してもがいてゐる最中なのだ。君に見えるのはその苦悶の姿だけなんだ。

 それから病気そのものの苦悩。隔離の不自由。部屋のないこと。

 性的なもの。

 文学的才能の不足。

 これ等が全部一丸となつて僕の頭を混乱に突き落すのだ。東條よ、君だけは僕のこの苦悩を判つて呉れるだらう。


 とんでもない方向に筆が走つた。兎に角かうしたことを考へ考へ、飯を食ひ終ると、このことを日記につけて置かうと机に向ふ。すると昨日のことを思ひだし、是非記して置かねばならぬと思ひ始め、それを書く。それを書き終る頃部屋の連中がどやどやと帰つて来て、もう書けない。時計を見ると六時ちよつと前だ。風呂に入れて貰ふべく十号に行く。東條はローレンスの肖像画を書いてゐた。なかなか良く出来てゐる。於泉がさぞ欲しがるだらう。風呂から出て一服やつてゐると、A・Gの結婚祝ひの饅頭が来る。結婚祝賀に饅頭とはふるつてゐる。この病院では誰もさうするさうだ。僕が結婚したらそんなことはやらぬ。親しい者と酒の密輸入をやつて一晚中飲んで騷ぐと考へたりしたが、結婚なんて夢 (それも悪夢) のやうなここの結婚なんてまつ平だ。

 どうして今夜はかう書きたいのだらう。なんでもいいから思ひ浮ぶことを片つぱしから書きつけて行きたく思ふ。

 ここは応接室だ。頭の上を虫が一匹ぶんぶん飛んでゐる。静かだ。だがもう消灯も間もないだらう。休まう。


 七月五日。

 朝英語を少し始めてみたが、病気のことを考へ出すと、もうどうしたらいいのか判らなくなつてしまふ。今からぼつぼつ始めて、どうにか一人前になる頃には完全に盲目になつてゐた。などといふことになつたとしたら?

 そしてこれが馬鹿げた杞憂では決してなく、確実に自分が病気である以上、確実に盲目になることは否応なく信じねばならぬのである。さう思ふとはや自分は深い洞穴に墜落して行く絶望と不安に堪へられなくなる。東條の所へ行く。十一時頃東條と二人でピクニックに行く。二人きりでは淋しく、遠藤老人を探して歩く。人もあらうに遠藤さんを探して歩くとは、と考へると可笑しくなつて来る。長い東條と、短い僕が、汗を流しながら駈けずり廻つてゐる恰好は、ひどく滑稽に違ひない。はるな、百合、あやめ、と各女舎を巡つて訊ねて見るが、遠藤さんはゐない。がつかりして引き上げようと歩き出した時、神宮の方から例の禿頭が幾分腰を曲げてひよつこり現はれた。ほつと二人は安心した。「遠藤さん」と呼んでニ人は駈け出す。

 二時近くまで三人でお菓子を食つたりお茶を飲んだりする。僕は女のゐないことが物足らなかつた。東條もさういう風であつた。

 夕方東條が訪ねて来る。二人で散歩に出る。途中十号によりお茶を飲んで、東條の日記を聴かせて貰ふ。お互に日記を読み合ふやうになつたのは何時からか、僕は十分覚えてゐない。が、何時の間にかさうなつてしまつたのだ。Sのことなど書かれてゐる。恋をしてみてもいいといふ風であつた。僕は一昨日の日記でSをやつつけたが、こいつは東條に見せるんぢやなかつたと後悔する。学園のグラウンドからは、踊りの練習の太鼓の音が、唄声とともに流れて来る。はるなへでも行つてみようかといふことになり再び外に出る。すると途中でひよつこりK・Fに出会す。今まで文学のことなど語り合ひながら歩いてゐた二人は、急に啞のやうに黙つてしまふ。K・Fは病室に帰るであらうと考へてゐると、なんのことはない廻れ右をして僕達と一緒に歩き出したので、畜生! と思つた。この頃K・Fの顔を見ると何時も不愉快になつてしまふ。骨の髄まで全生病院に帰化してしまつた癩的根性が見え、それが不快になり、思はず胸がムカムカとしてしまふ。その癖出会すママと、俺程苦しんでゐるものはゐない、といふ風な貌つきで、まるで何もかも識り尽してしまつたニヒリストのやうにニヤニヤと笑ひ、幸福さうにしてゐるぢやないかと僕を軽蔑する。そして動作、言葉、思想その他凡てがぬらりくらりとしてゐて、まるで鰻のやうだ。がそれでゐて、あの鰻の持つ強靭さも、鋭さも、精焊さもない。丸切りなまづの鈍感さだ。この男を見てゐると不愉快になると同時に、可哀想にもなつて来る。何時か東條と語り合つたが、実際、僕等は、