今日は午一時から映画が来る。日活 all star cast の超特作ださうだ。題は「母の愛」といふ。が、自分は行かなかつた。行けば必ず情なくなつたり腹が立つたり、その果はきつとあの生温い空気に窒息しさうになつてガンガン頭が鳴り出し、暈がし始めることは判り切つてゐる。映画は必ず箸にも棒にもかからぬ通俗的なものに定つてゐるのだ。それよか家で寝転んで本でも読んだ方がなんぼましか判らぬ。舎の者みんなが行つてしまふと、自分はふとんを出し、その中で『改造』や『文藝』や『中央公論』などを数冊引き出して拾ひ読みする。武田麟太郎氏の小説「浄穢の観念」を読み、その他大衆小説二三楽しむ。四時頃、腹が減つて来てならぬので一人で飯を食ふ。傲然とあぐらをかいて食ふ。楽しい。あたりには自分の思考を乱すものは誰もゐない。一号室にもゐない。この舎全部我がものだ。といふ風な気になる。こんな時東條が来たらいいのになあ。誰になんの気がねをすることもなく自由に、大声で語り合つたり、飯を食つたり、お茶を飲んだりするのに! 東條よ、今度から来る時には、朝来い。朝の八時から十時までは、たいてい俺一人ぽつちなんだ。みんな仕事に出かけてしまふからね。君はどう思ふか知らぬが、君と二人で語り合ふ時、他に (どんな者でも) 誰かがゐると、もう面白くないのだ。弱い癖に気の敏感な僕は、絶え間なくその誰かが気にかかり、思ふ存分ものが言へないのだ。そしてその誰かが何か一つことでも言ひ出すと、もう自分達の世界をかき乱されてしまふやうな腹立たしさを感ずるのだ。それは極端なエゴーかも知れないね。けれど、どうにもならないのだ。僕は僕達の世界の中に閉ぢこもり、そこを荒されることが腹立たしく、同時に、いや、それ故に絶えず荒されはしないかとびくびくしてゐるのだ。これはあまり良い傾向では決してない。けれど、自分の力の微力さがさうさせるのだ。さうしなければ自分の神経を、文学を、守つて行けないのだ。それ程僕等の周囲は雑駁を極めてゐるんだ。それは、実際僕等の必死の戦ひなんだ。君は判つて呉れるだらう。それから僕は今から僕の苦悩が如何なるものであるか、その一端を書かう。けれど何からどう書きまとめたらよいか、自分でも持てあましてゐるのだ。まあ兎に角思ひ出すまま二三書いてみる。(これは後で君にみせることを予想して書いてゐるのだ。けれど決して嘘は書かぬ。)