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Page:HōjōTamio-Diary-Kōsei-sha-2003.djvu/21

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 どうしてかう近頃忘れつぽくなつたんだらうか。日記を書かうとして一日の出来ごとを振りかへつて見てもなかなか覚え出せない。文学などもなるだけ多く覚えようとしてゐるのだが、すぐ忘れてしまふ。今日の記事も (実はこれは四日の今記してゐるのだが) 午前中のことはすつかり失念といふ訳だ。で、午後の分だけ書いて置く。頭が悪くなつたんだらう。

 四時半頃飯を食ひ、終るとすぐ東條の所へ行く。風呂を貰ふためだ。そこで早速二人で風呂に這入る。するとつい先日気が狂つて、(東條の話によると、夜中に荷車を曳き出したり、デバを振り廻したりしたのださうだ) 附添達にこつぴどく撲られ、監禁室に入れられてゐたといふ若い男が、這入つて来た。東條は平気らしいが、僕はひどく薄気味悪く背筋がむづむづする。よく太つた男で、年はまだ十九だといふが、大柄な体で二十二三に見える。肉はぶよぶよとしてゐて、女のやうに白い。勿論病気のための白さであらうが、皮膚など大変なめらかで美しい。扁平足といふか、三和土〔たたき〕の上をべたべたと歩く。眉毛は両方共薄くなつてゐる。監禁される前に見た時には、物凄く太いのを、墨で書いてゐた。お湯から上り、東條の部屋で南の窓から這入る風を受けて体の汗を引かせてゐると、T君がやつて来た。

 帰つてから雑誌をペラペラとめくつて見たり、煙草を吸つたりしたが、読む気も書く気にもならぬ。仕方なくぶらりと外に出る。「今夜は御馳走をするぜ。」と東條が言つてゐたのでぶらぶら十号の方へ向つて行く。七号病室の前まで来ると、彼がのつそり十号から出て来る。細長い体を、ひよろひよろとやつて来る姿は、力といふものを皆目失つて風に流れて来るやうだ。柏舎の横で帯を干してゐるT君と三人で散歩をする。

 ナツメ舎の所でT君に別れ、東條と二人ぶらぶら僕の舎の方へ向つて来る。僕は自分の部屋のことを考へ、丸切り精神的なものを持たぬ実際家達がうようよ集まつてゐると思ふと、嫌気がさして来てならない。それで藤蔭寮の横の芝生にながながと寝そべり、僕が、十七の時に作つた小説の梗概を語ると、彼も小さい時の作のことを話した。

 暗くなり、あたりが静まつて来ると、二人は立ち上り、十号の方へ歩き出す。すると、共同便所の横で妙義舎の光岡君と、於泉信夫とにばつたり出会でくわす。しまつた、と自分は心の中で思ふ。東條と二人で語つてゐる時の静かな、そして何の武装もしない情熱で語り合ふことが、今破られようとしてゐる! この二人によつて‼ さういふ風な不安に似た気持が突き上つて来る。光岡君にしろ於泉にしろ、自分とは親しい間柄の人達である筈だ。それにこの嫌悪はどういふ訳だ。理由は性格的なものだらう。この種の人達とは、交はれば交はる程、親しさが薄らいで行き、離れて行く。僕の所へ行かう、と光岡君が言ふ。四人は歩き出す。一番後からのそのそといて来た東條は、途中で突然帰ると言ひ出した。そして帰つてしまつた。

 三人は光岡君の部屋で Coffee を飲み雑談。僕は激しい憂鬱と苛立たしさが心の中に湧き上つて来て、物を言ふのさへ腹が立つ。於泉はよく喋る。下らんことをべらべらと喋る。光岡君がそれに相槌を打つ。その実、心の中では於泉を軽蔑してゐるのだ。於泉の馬鹿はそれに気づかないんだ。いい気になつてよけい喋る。そのくせ彼も光岡君を軽蔑してゐるんだ。お互に肚の中では侮蔑し嘲笑し合ひながら、口先だけで愉快さうに笑つたり、楽しさうに語つたりする。それでゐてお互に肚の中を探り合ひ、見てゐても胸くそが悪い。大きな油虫が一匹ぶうんと飛んで来て僕の肩に止まる。僕はそいつを摑んで、むかつく心のはけ口にもと廊下に力いつぱい叩きつける。なんて人間は浅ましいんだらう。お互に嘘のつきつこをして楽しがるために生れて来たのか、と言ひたくなる。僕もよく噓をつく。しかし僕の嘘はこんなに浅ましくはない。僕のはやむにやまれぬ情熱で嘘をつくのだ。僕のはよりよく表現しよう、より正確に自分を認識して貰ふために、つくのだ。決して自らを欺くためではない。ところが彼等はどうだ、自らを欺き、そのうへ人を欺かうとしてゐるのだ。何時だつたか光岡君が言つた言葉を自分は覚えてゐる。「北條君はちよつとおだてるとすぐ乗る男だ」と! 畜生、おだてられたりしてたまるものか。於泉よ、愚にもつかんことを語るのは止せ! 東條よ! 君と僕が語り合ふ時だけは褌までも外づして語らう。僕は決して君に対して武装しはしない。どうか君も武装しないでくれ。裸にならう、裸に。

 僕は幾度於泉の口辺をひつぱたいてやらうと思つたか知れぬ。これは僕が於泉を幾分でも愛してゐるためだ。自分達の世界の人間、仲間、さうした気持があるためだ。それが全然別個の世界の人間と調子を合せ、合せることによつて楽しさを得ようとしてゐる浅ましさが憎らしいのだ。

 九時半頃やうやく帰途につく。「たまに語るのもいい