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泣き出すやうな場面といふものは、きまつて外観甚だ滑稽であるが、それが人の貌を見る時でも苦悩の深かつた人の貌ほど私にはますます滑稽に見えてしまふのである。この場合滑稽といふやうな言葉を使ふとふざけてでもゐるやうで、的を射てゐないことは私も承知してゐるが、ほかに私の気持を表はすに適当な言葉は一つもないやうである。

 私の今ゐる病院には癩者生活六十一年といふ全く奇蹟的な人物や、両手両足を失ひ、しかも盲目で丸坊主でさながらに骸骨に皮を着せたやうな人がゐる。かういふ人達を見る度に私は思ふ、なんといふ清らかな滑稽さであらうと。無論ふざけてゐるのではない、たはむれてゐるのでもない。こんな場合にふざけたりたはむれたりが出来るものか。私はのつぴきならない思ひで言つてゐる。

 更にかうした滑稽さといふものは、人間の外部的なものを見る場合だけでなく、内部的な、そして自分自身の心理の場合でも言へるやうな気がする。実を言ふと、私自身それに幾度もぶつかつては困らされて来たのである。それは、一例をあげると自殺であるが、いざ首を縊らうとすると必ず一種言ふべからざる滑稽に陥つてどうしやうもないのである。これは私だけのことであるかも知れない。言ふまでもなく、それは深刻な苦しみで、筆紙には表はし得ないところのものである。それでゐていざといふ段になると、急に自分からその苦悩が遊離してしまふやうな工合になつて、今度は死ぬといふ実際に対する苦しみよりも、遊離することの方が余計苦しくなつて来て、俺はまあ一体全体どうすればいいんだ、と結局は悲しいんだか苦しいんだか可笑しいんだか、わけの解らぬ滑稽に頭が包まれてしまふのである。察するに苦悩といふものは滑稽の母体なのであらう。私は今、ふとフロイドの快不快原則を思ひ出したが、その気持は快不快原則によつて分析されるやうに思はれる。しかしかうした科学上の方法では、やはり分析し尽されない何かがあるやうな気がする。論理が怪しくなつて来たが、実を言ふと私もこの苦悩と滑稽の関係がよく解らない。

 ついでのついでにもう一度話を外部へ移してみるが、自殺者の心理といふものは定つて妙ちきりんなもので、第三者がどんなに観察しても結局理解されないふしが残されるやうである。もつともこれは本人すら解らないくらゐのもので、そこまで行けばもう造物主の精神につながつてゐるものだと考へるより術もない。で、第三者にはその自殺者が生んだ滑稽ばかりが目立つて来て、その主体には指一本触れ得ないといふ結果になるのではあるまいか。

 猫の場合は無論苦悩ではなく無気味であるが、それにも矢張り滑稽が潜んでゐる。

 さて猫肉であるが、犬なども殺したすぐ後は一種言ふべからざる悪臭を放つて、ちよつと食へないが、猫もやはりさうである。なんといふか腐臭のやうな、なま臭いやうな、泥臭いやうな、膏臭いやうな、そしてその何れでもないやうな、いやな臭ひで、強ひて言へば猫臭といふより他になんとも言ひやうのない悪臭であつて、食はれたものではない。ところがこれを二日乃至三日、土の中に埋めて置いて取り出すと、もう完全に臭ひはなくなつてゐ、料つてしまふと、最早大統領が咽喉を鳴らせてもちつとも可笑しくはないのである。

 無気味さでもそれが滑稽味を帯びて来るほどになると、もう無気味などとは言つてゐられない。それは凄味で、死んだ猫の眼がさうである。首がついたままだと、とても皮などはがせるものではない。で、何よりも先づ首を除去しなければならない。色々と考へた末、頭の部分を新聞紙にくるんで、一息にやつと斬つた。あとはもう楽なものである。皮は造作もなくはがせるし――。

 もともとかういふ病院内のことではあるし男手ばかりではさう上手な調理法など識らう筈もなく、砂糖と醤油で煮て食つたのであつたが、前にも言つたやうにばかにならないうまさであつた。それにみな初めての者ばかりだつたので、煮る間、火鉢を囲んで、どんな味がするだらうと興味津々たるものがあつた。

「鶏を常食にしてゐた奴だ、まづい訳があるものか。」

「皮は三味線に使へるさうじやないか、勿体ないぜ、捨てるの。」

「肉だけ食へばたくさんだよ。慾ばるな。」

「癩病になつたばかりに、猫も食へるし。」

 ぐつぐつ煮立つて来だすと、湯気を摑んで急いで嗅いで見たり、まだ十分に煮えてゐない赤味のあるのをつまんで見たり、それは大変待遠しい思ひであつた。

 味は幾分か酸味を帯びてゐて、ちよつと変つた風味である。兎のやうに歯切れが良く、何よりも脂の少いのが取得である。これなら歯の悪い老人にも向くぞと、その席上で話合つたほどである。気の利いた料理人でもゐればもう少しうまく食へるのだつたがと、後になつて惜しんだものであつた。その後私はつくづく考へるのであるが、気色が悪いからと言つて今までこんなうまいものを