Page:HōjōTamio-CatDish-2002-Kōsei-sha.djvu/2

提供:Wikisource
このページは検証済みです

と、力をこめて言ふのを聞いたのである。その人はかなりの教養もあるらしい人であつたが、盲目になつてから気が狂ひその病室へ入れられたが、今ではもう普通人と変りなく頭も良くなつてゐる。実際来る日も来る日も眼に見えぬ速度で腐つて行く自分の体を考へ出したが最後、私自身も何時気が狂ふか知れぬと、そぞろ暗澹たる気持になる。俺の体は腐つて行く――この事実の前に一体、力あるものが一つでもあるだらうか、大きなことを言ふと笑はれるかも知れぬけれども、私には哲学も宗教も芸術さへも無力だと思はれて来る。

 それからまた、現在は自由に飛び廻つてゐる軽症者にしても、ゆくゆくは不自由舎の人となるべく運命づけられて逃れやうもないのであつてみれば、一きれの猫肉に無上の快味を求めようとするのも、愛すべき切ない気持である。野蛮でもなんでもない。

 それから、猫その他を食ふ彼等を愛すべきだと思ふもう一つの理由は、それを食ふ彼等の心の底に、奇蹟的に癩病が癒りはせぬかといふ、おまじなひでもするやうな儚ない気持が流れてゐるのを見取るためである。意識して、病気を癒すためだなど思つて食ふ訳ではないが、意識下にやはりこの気持が流れてゐると私は思ふのである。いや、かういふ無意識的なことばかりでなく、時には意識的に悪食をやる場合もある。

 もう大分前の話であるが、ある鮮人患者がトカゲを丸呑みにしたといふ噂があつた。嘘か真実ほんとか、私は見なかつたので断ずる訳にはゆかないが、しかし事実と言つても差支へないやうである。その人とは私もかなり親しい間柄で、夜ふけまで身上話を聴かされたこともある。このつぎ会つたら是非直接に訊いてみるつもりである。彼は土方で、院内の道路修理をしてゐる折、色々と病気の ことを話し合つてゐるうち、トカゲを生きたまま丸呑みにすれば一度に病気が癒つてしまふと、一人が言つたのだつた。その言葉を真向から信じ込んだわけではあるまいが、彼は早速実行したのださうだ。最初は尻尾の方から呑みかけてみたが、長かつたり、ぴんぴんはねまはつたりしてうまくゆかぬので、次にはいきなり頭の方からごくりと呑み込んだといふことだ。

 そんな乱暴をして、もし命をとられたらどうするか。併しこんな忠告は無意味である。死ぬかも知れない、死んでもよい、だがひよつとすると病気が癒るかも知れない。この生命を賭博する気持は、私にはうなづける。

かういふ次第であるから、ここでは猫を食ふなど、日常的な、常識である。と言つて毎日猫ばかり食つてゐるやうに思ふのは無論大間違ひで、そんなにしよつちゆう食ふ訳ではない。もつとも女はなかなか迷信深い存在だから、猫を食つたといふ話は女舎ではまだ聞かない。この間も赤犬を一頭せしめたので、そいつで豚カツならぬワンカツを造つて女の友達に食はせてみようとしたが、どうしても食はなかつた。

 私の食つた猫は五貫目もありさうに丸々と太つたぶちで、鶏舎の繰仕掛ばつたんにひつかかつたやつである。それ以前から絶えず鶏舎を荒して始末におへぬ野良猫だつた。若しや病気が癒りはせぬか――などといふ気持は、私に有らう筈もなかつたが、うまいといふことをもう幾度も聴かされてゐたので、この機会にひとつ食つてみようと思つたのであつた。

 鶏舎は私の住まつてゐる舎のすぐ右隣りにあつて、今八百近くの鶏が飼育されてゐる。飼育は勿論患者の作業である。その卵と牛舎のしぼる牛乳とが重病室の患者達に与へられる最上の栄養素であるが、かやうに重要な鶏が夜な夜な盗られるので、ばつたんをかけて見ると、翌朝にはもうその丸々と太つたのがかかつてゐたのだつた。ばつたんは、文字ではちよつと説明しにくいが、兎に角、その中に猫の好物がぶら下げてあつて、そいつに触れるが早いか、忽ち頭上から大石の載つた厚板がどうと墜落して来る仕掛になつてゐる。ばつたん!とばかりに墜落するゆゑ、さういふ名前がついたのだらう。

 厚板の下敷になるのだから、当然猫も板のやうにたひらになつてしまふ。私が食つたのもやはり胴中はひらべつたくなつてゐて、指で触つて見ると、冷たくなつてゐる上に、ぶよぶよしてゐるやうなこちこちのやうな、大変気色の悪いものだつた。それでゐて眼だけはギロッとひんむいてひどく無気味である。大石の載つかつた厚板に圧し潰されたのであつてみれば、さぞかし苦しかつたことであらうと私は思つたが、

「太い奴だ、この泥坊猫め!」

「太いくせに平になりやがつて!」

 みんなは、そんな風なことを言つて大笑ひだつた。私もそのおもちのやうになつて、おまけにギロリと眼をむいた怪しげな恰好を見てゐるうちに、なんとなく滑稽になつて吹出してしまつた。ついでに言つて置かうと思ふが、どうしたのか私は深刻なものや物凄いものを見てゐると、それがきつと滑稽なやうに見え出してしまふ習慣が、何時の間にかついてしまつたのである。感極まつて