つたのであつた。
しかし自分の孫を川に突き落して殺さうとした老人の心事を考へると、鶏三はまた迷はざるを得なかつた。勿論老人が悪いのではない、凡ては癩にあつたのである。しかしその癩なるが故に物置小屋に入るべく運命づけられ、親の愛情をすら失つた太市を守る者が、この自分以外にどこにゐるか――。鶏三は意を決して一人で面会室に出かけた。
面会室には例の老人が茶色つぽい木綿の
「あの、太市のやつは……。」
と、いぶかし気におづおづと訊くのであつた。
「はあ……。」
と鶏三は受けたが、さて何と言つたらいいのか、適当な言葉もすぐには見つからなかつた。すると老人は仕切台の上に乗せてあつた手拭をぎゆつと摑みながら、
「どこぞ悪うて寝てをるんではないかいの。」
と、はや心配さうに訊くのである。
「いや……。」
と鶏三は答へながら、ふと相手の言葉通り重病で面会は出来ないと言つてしまはうかと考へついたが、かういふ偽りは彼の心が許さなかつた。
「いや、あの児はまあ元気でゐるんですが、弱つたことにはどうしてもここへ来るのは嫌だつて言ふのです。そしてどこかへ隠れてしまつて出ないんです。」
これは鶏三の想像である。鶏三はここへ来る途中、やはり一応太市に老人の来たことを知らせようかと考へたのであつたが、知らせた結果は、いま言つたやうになることは明かに予想されるのである。
すると老人は、
「さうかいのう。」
と言つてうつむくと、握つてゐた手拭を腰に挟みながら、
「一目生きとるうちに会ひたうてのう。」
と続けて鶏三を見上げた。が急にその眼にきらりと敵意の表情を見せると、すねた子供のやうに、
「しやうがないわい。しやうがないわい。」
と口のうちで呟いて、腰をあげるのであつた。
「お帰りになるのですか。」
と鶏三が訊いてみると、むつとしたやうに相手をにらんで、
「帰るもんかい、一目見んうちは帰るもんかい。」
と怒り気味に言つて、また腰をおろすのであつた。勿論鶏三に腹を立ててゐるのではない、自分の内にある罪の意識と絶望とのやり場のないまま、ただ子供のやうにあたりちらしたいのであらう。老人の顔には許されざる者、の絶望が読まれる。
鶏三は老人をじつと眺めながら、その黄色い歯や
と、急に老人の眼が赤く充血し始めたが、忽ち噴出するやうに涙が溢れると急いで腰の手拭を取つて眼を拭つたが、暫くは太市と同じやうにしくしくと泣くのである。
「お前さんは、わしがあの児を憎んでると思ふてかい、わしが太市を憎んでと思うてかい。」
それは人生の暗い壁に顔を圧しつけて泣きじやくつてゐる子供のやうであつた。鶏三は重苦しい気持のまま黙つてゐるより致方もなかつた。老人は問はず語りにうつむいたままぶつぶつと口のうちで呟くのであつた。
「監獄の中でもわしはあれのことを思うて夜もおちおち寝れなんだわい。かうなるのも天道様にそむいた罰ぢやと思うてわしが何べん死ぬ気になつたか誰が知るもんか。その時のわしの心のうちが人に見せたいわ。それでも、もう一ぺんあいつの顔が見たいばつかりに生きとつたが……この前来た時は監獄から出て来た日に来たんぢやが、あいつはわしに会はうともせなんだ。なんちふこつたか。わしの立瀬はもうないわい。あの日も駅で汽車の下敷になつた方がよつぽどましぢやと勘考もして見たがのう、あれが生きとるうちは死にきれんわいな。養老院へ行つてもあいつの生きとるうちはわしは死にやせんぞ……お前さんはわしが面会に来るのに菓子の一つも持て来んと思ふて軽蔑してゐなつしやろ、え、軽蔑してゐなつしやろ。菓子は持て来んでも、わしはあれのことを心底から思うとる。この心がお前さんには通じんのかい。さ、一目会はせてくれんか、わしは一目、この眼で見ん