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てすべし」と。淸盛之に從ふ。山徒乃王にそむく。王、南都に奔る。宇治戰淸盛、子の重衡しげひら等を遣し、二萬騎を將ゐて、宇治河に追擊す。王、平等院びやうどうゐんに入り、橋を斷ちて軍す。僧徒善くたゝかふ。我が將平盛淸、兵を分ちて、河內より進み、敵の前路を遮らんと請ふ。足利忠綱下野の人足利忠綱あしかゞたゞつな、進みて曰く、「我が家甞て秩父氏ちゝぶしと、利根とね河をさしはさみ相挑む。未だ甞て流をわたりて戰ひを决せずんばあらず。今日の利、速に戰ふにあり、何ぞ猶豫を爲ん」と。乃手下三百騎を以て先づ渡る。令を下して曰く、「駿者を上にし、駑者を下にし、淺にりて、深にはなち、其步卒はたがひに相提挈し、