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或は溺るゝ者は、ゆはずを授けて之をたすけよ」と。令畢りて濟る。一人をもうしなはず。忠綱呼びて曰く、「我は藤原秀鄕ふぢはらひでさと六世の孫なり。なんぞ來りて死を决せざる」と。兼綱笑ひて曰く、「なんぢ名族を以て、乃平氏に驅役せらるゝや」と。對へて曰く、「平氏詔を奉じて亂賊を討つ。いづくんぞ從はざるを得んや」と。乃大に戰ふ。終に兼綱を射殺す。我が軍悉く渡り、擊ちて大に源氏の兵を破る。賴政及び子の仲綱等皆死す。王、南に出でゝ走り、流矢に中りて薨ず。南都の僧兵木津川きづがはに至り、之を聞きて引去る。重衡等凱旋し、首を闕下に獻ず。淸盛、忠綱を賞す。