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く、「小松の第何に由りて兵をす」と。二人對へて曰く、「院、內府に宣して曰く、『汝が父、君思を忘れて、國家を亂さんと欲す、汝に命じて之を征伐せしむ』と。內府、きみの自ら急にするを慮りて、臣等をして來りまもらしめて曰く、君これを安んぜよ。重盛在りまさに身を以て請ふべし」と。淸盛、惶懼して曰く、「我が爲に內府にげよ。吾れ前途已に迫る。事を事とせず、唯卿、これを令せよ」と。二人還り報ず。重盛、漣然として曰く、「父をして此語を爲さしむ。吾罪大なり」と。乃みづから臨み兵を勞して曰く、「汝等召に應じて即來る。眞に平生にそむかず。而れども事謬傳に出づ。宜しくすみやかめ去るべし。後緩急有らば、幸にこれに狃ふなかれ」と。因りてことめ去る。法皇之を聞きて泣きて曰く、「重盛怨に報ずるに恩を以てす。人をして慙愧せしむ」と。

すでにして淸盛、武士をして西光を咼【咼】肉を削り骨に至るせしむ。並に師高もろたか師經もろつねを殺し、成親を備前に流す。後、人をして之を殺さしむ。成經、康賴、俊寬しゆんくわん硫黃ゆわう【硫黃島】薩摩はなつ。敎盛のりもり常に成經に餽遺す。成經之を二人に分つ。因りて乏からざるを得たり。

治承二年二年、中宮妊す。淸盛、身みづか嚴島いつくしま【嚴島】安藝の神にいのりて、皇子を得んことをこひねがふ。敎盛、乃重盛に因りて、赦令を下さんことを請ふ。成經、康賴、歸るを得。俊寬、終に