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「大事あり。公來る何ぞおそき」と。重盛曰く、「是れ私事なり。何ぞ大事と言はんや」と。入りて淸盛に謂つて曰く、「大納言を殺さんと欲すと聞く。願くは之を再思せよ。兒豈姻戚を以て爾云はんや。彼れは名族たり。君の寵を受く。未だ私怨を用ゐて殺す可からず。往時少納言信西死刑を興行して、惡左府あくさふ【惡左府】賴長はかあばけり。二歲ならずして、信西の墓も、亦藤原信賴に發かる。善惡の應ずる、殃慶あうけい立どころに至る。願くは之を再思せよ」と。出でゝ經遠、兼康を見て、其亡狀をめ、因りて之を戒めて曰く、「愼みて我が公をして怒に乘じ、悔にいたらしむる勿れ」と。乃歸る。敎盛も亦成經の爲に固く請ふ。皆死を减ずるを得たり。

淸盛忿怒而して淸盛怒り自らへず。乃就きて成親を見る。成親首をる。淸盛呼びて之をあふがしめて曰く、「公のかほにくむべし。公は當に平治に死すべき者、內府ないふ【內府】重盛の請ひに因りて之をゆるす。祿位並にたかし。何を苦みてそむくぞ」と。成親曰く、「僕何ぞあづかり知らんや。事必讒口に出づるならん。僕、貴族に於て何の怨むる所ありて敢て倍畔せんや」と。淸盛、左右をかへりみて、西光の狀を取り來らしめ、乃自讀むこと二過して曰く、「猶あづかり知らずと言ふか。公の面憎むべし」と。其狀を以て成親の面になげうちて入り、經遠、兼康をして成親を拷掠がうりやくせしむ。二人重盛を畏れ、成