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院中【院中】後白河法皇の宮に就きて奏して曰く、「凶徒ありて臣の宗を滅さんと圖る。臣まさとらへて之をたゞさんとす。然れども事必もとあらん。是を以て敢て奏す」と。法皇、色を失ひ、答へらるゝ所を知らず。

西光乃西光をばくして至り、階下かいかひざまづかしむ。淸盛叱して曰く、「下奴げど、過分の寵をたのみて、無罪を構陷し、又敢て我が家を危くせんと欲す」と。西光笑ひて曰く、「なにをか過分と謂ふ。公の父但馬守は朝官のよはひするをづる所。公は其嫡子たり。常に高履たかあしだきて中御門なかみかど氏に伺候しこうす。人呼びて高平太たかへいたと曰ひき。十八九のころ、海賊二十人を捕へし功を以て、四位兵衛佐ひやうゑのすけと爲れるを、人以て異數となせり。而今いま太政大臣だいじやうだいじんに至る。是れ之を過分と謂ふのみ」と。淸盛大に怒り、をどり起ちて其面をる。痛く之を掠治して、實を得たり。命じて其口をかしむ。

又人をして成親を召さしむ。成親未だ事のあらはるゝを知らずして曰く、「平公山徒をゆるさんと欲して、吾をして法皇に請はしむるのみ」と。乃往く。西八條に及ぶころ、甲士の繹騷えきさうするを見て、心驚き、門に入るに及びて、平氏の士難波經遠なんばつねとほ妹尾兼康せのをかねやす耦進ぐうしんしてこれをとらへて、小室に囚し、將に昏を待ちて之を殺さんとす。成經、康賴以下、皆逮捕せらる。久しくして重盛至る。衆迎へてこれに謂て曰く、