西光の子師高、加賀守となる。其目代師經、白山の僧徒と鬪ふ。僧徒來りて之を延曆寺に訴ふ。延曆寺の僧徒、之と兵を合せて京師に入りて、闕を犯す。重盛三千騎を以て宮門を衛り、擊ちて之を郤く。山徒服せず。還りて再擧を圖る。法皇、平時忠をして往きて之を諭解せしむ。五月、師高、師經を誚めて之を流す。西光慙恨す。明雲終に叡山の坐主明雲を法皇に間して、流に處す。明雲素より淸盛と善し。淸盛爲に奏して之を救ふ。省ず。已にして山僧明雲を奪ひ還る。法皇怒りて、諸將士に敕して之を討たしむ。淸盛敕を奉ぜず、則更に成親に敕す。成親大に喜び、因りて兵を聚む。
行綱自首行綱、自
度る事
竟に成らじ、自首するに
若かずと。乃、夜馳せて西八條に
赴く。淸盛福原に在りと聞きて、又赴き、
面あたり事を吿げんと請ふ。淸盛出でて之に面す。行綱曰く、「院中兵を集む。君其由を知るや」と。淸盛曰く、「山徒を攻めんと欲するのみ」と。行綱進みて其耳に附け、語りて曰く、「
否々、事貴族に
係る、
嚮日新大納言
【新大納言】成親氏
俄に行綱を
鹿谷に要す。謀云々。聞く法皇も亦親ら臨まんと欲す。
法印靜憲之を諫むるに因りて止む。事已に此に至る。敢て吿げずんばあらず」と。淸盛大に
駭き、
直に京師に歸り、悉く子弟宗族を召し、撿非違使
阿部資成を遣し、