れに稱へり。衆乃結束して北に還る。已にして源氏の兵阿部野に要するを聞く。淸盛曰く、「彼は衆、我は寡。我れ且之を四國に避けて、以て再擊を謀らん」と。重盛曰く、「機失ふべからず。今を失ひて擊たずんば、彼將に我より先ぜんとす。我寡にして敗るとも、何の恥か之あらん。今日の事、死ある耳」と。淸盛曰く、「吾が志决せり」と。衆を率ゐて疾く馳す。未だ阿部野に至らざるに、一騎に遇ふ。衆意ふ、源氏の使ならんと。騎至りて曰く、「六波羅より至る。六波羅の兵、駕を迎へて見に阿部野にあり。請ふ速に歸れ」と。衆相喜慶し、踴踊して京師に入る。是の時に當りて、信賴自ら大臣大將となり、義朝以下皆官に拜せらる。信賴、衣冠乘輿に僭擬し、百官の上に坐し、庶政を聽斷す。百官敢て仰ぎ視る者莫し。藤原光賴獨左衛門督藤原光賴屈せず。會議に因りて信賴を折く。其弟惟方を勗めしめて、二宮を護り、以て淸盛を待つ。
淸盛旣に還る。信賴之を聞きて諸門の
守兵を益す。淸盛其備を
怠らせんことを謀り、乃名簿を信賴に致して、以て他なきを示す。淸盛、帝を拔かんと計り、乃惟方と謀を通じ、
夜火を二條大宮に
放つ。守門の兵、
守を
舍てて之を救ふ。天皇乃皇后と同車し、衣を
蒙り、伏して
藻壁門を出でらる。惟方從ふ。門者
誰何す。惟方曰