て甲第を六波羅に興す。
平治の亂
義朝義朝、平氏の聲望己が上に出づるを視て、心常に之を嫉む。藤原通憲【藤原通憲】信西、淸盛の女を娶りて婦となす。亦義朝と𨻶あり。通憲、大議に參與し、釐正する所多し。帝、位を太子に授く。是を二條帝とす。而して上皇【上皇】後白河仍政を聽く。政、通憲に在り。上皇の嬖人を藤原信賴と曰ふ。近衛大將たらんことを求む。上皇之を聽さんと欲す。通憲可かず。因りて唐の安祿山の事跡を圖して上り、以て之を諷す。信賴慙恨し、乃義朝と深く相結納し、陰に亂を作さんことを謀る。藤原經宗、藤原成親、藤原惟方みな其謀に與かる。謀旣に定まる。而れども淸盛を畏れて敢て發せず。
平治元年
淸盛熊野に詣平治元年冬、淸盛、重盛、筑後守家貞等五十人を率ゐて熊野に
詣づ。行きて
切部に至る。六波羅の使者來り吿げて曰く、「昨夜信賴、義朝、源賴政、源光基等と、兵五百を率ゐ、三條
殿【三條殿】皇居を圍みて之を燒き、並に少納言通憲の
第を燒く。殺傷算なし。遂に上皇及び主上を
禁內に
幽し、少納言も亦害に
遭ふ」と。衆
愕然たり。淸盛曰く、「之を
爲すこと
如何。宜しく熊野に到り之を
計るべきか」と。重盛曰く、「武臣天子の
急に赴く、何ぞ猶豫を爲さん」と。淸盛曰く、「
甲なきを何如せん」と。家貞曰く、「臣豫め是事あるを慮る」と。其擔を開きて
甲冑五十を出す。
器械弓箭こ