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天慶三年三年、朝廷參議さんぎ藤原忠文たゞふみを拜して、征東大將軍せいとうだいしやうぐんと爲し、諸將を率ゐて東伐せしむ。東海、東山の兵をおこし、つのるに重賞を以てす。而して貞盛を常陸掾に任じ、兵を發して將門を討たしむ。將門之を聞きて、兵を率ゐ、貞盛を常陸にもとむれども得ず。乃其衆を散じて、獨り千餘人をて下野に至る。

藤原秀鄕下野に押領使あうれうし藤原秀鄕ひでさとといふ者あり。世〻大族たり。將門兵を起すに及びて、往きて之を見る。將門まさに髮をくしけづる。もとゞりり、出でて之を欵接くわんせつす。食を命じ共に食ふ。飯粒前につ。ひらひて之を食ふ。秀鄕、其輕卒にして、ともに爲すに足ざるを知りて、乃貞盛に從ひぬ。

貞盛、將門の備なきをうかゞひ、秀鄕と兵四千餘人を合せて、急に之を襲ふ。將門にはかに出でて之をふせぎ、大に敗る。貞盛勝に乘じてく攻む。將門之を險阻にいざなはんと欲し、走りて島廣しまひろ山に據る。貞盛其營をき、大に山北に戰ふ。將門見兵四百騎を以て死鬪す。貞盛兵をさしまねきて之にせまる。將門獨身出でて走る。貞盛叱咜しつたして追馳つゐちす。射て其右額に中つ。將門馬よりつ。秀鄕其首を斬る。天慶の亂平ぐ興世王以下、悉く誅に伏す。京獄けいごくけふす。八州皆定る。而して純友ついで平らぐ。忠文等皆みちより還る。貞盛功を以て從五位上に叙し、後從四位下に遷り、鎭守府將軍ちんじゆふしやうぐんに任じ、陸奧守むつのかみ