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貞盛大に敗れ、身を脫して京師けいしに入る。すでにして良兼卒す。將門乃下總にり、遂に常陸介藤原維幾これちかおそひ執へ、常陸を取る。興世王武藏守興世王おきよわう、兇險にして亂をよろこぶ。きて將門にきて曰く、「關東八州は沃饒よくぜうにして四塞なり。りて以て天下にたるべし。夫れ一州を取るもちうせられん。八州を取るも亦誅せられん。誅は一のみ。おもふに公いづくにかけつす」と。將門大に悅び、きて謀主となす。遂に下野、上總、武藏、相摸を攻めて、ことく之を下す。弟正平まさひら諫めて曰く、「帝王命あり、みだりこひねがふべからず。願くは之を熟圖せよ」と。將門曰く、「天我にゆるすに武を以てす。吾帝位を取る、たれか能く之をふせがん」と。乃僞宮ぎきうを下總の猿島さるしまに建て、文武百官を置く。

藤原純友初め將門まさかど、藤原純友すみともといふ者を友として善し。かつて同じく比叡山に登り、皇城をて曰く、「さかんなる哉、大丈夫まさこゝに宅す可らざらんや」と。遂にともに反を謀る。純友に謂て曰く、「他日志を得ば、吾は王族なり。當に天子と爲るべし。公は藤原氏なり、能く我が關白くわんぱくと爲らんか」と。是に至りて純友、伊豫のじようと爲る。任滿ちて還らず。海島に據りて盜をなし、以てはるかに將門におうず。ひそかに人を遣り京師に入り、火を坊市ばうしはなつ。京師戒嚴す。天慶二年時に天慶てんけい二年なり。