Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/45

提供:Wikisource
このページは校正済みです

平氏系統平氏は桓武天皇より出づ。天皇の夫人多治比たぢひむね、四子を生む。長を葛原かつらはら親王と曰ふ。幼にして才名あり。長じて謙謹けんきん書史しよしを讀むを好み、古今の成敗せいばいを觀て、以て自らかんがむ。四ほんに叙し、式部卿しきぶきやうに任ぜらる。子を高見たかみ、孫を高もちといふ。高望に姓平氏を賜ひ、上總のすけに拜す。子孫よゝ武臣たり。其旗赤を用ゐる。

高望の子高望四子あり。國香くにか良將よしまさ良兼よしかね良文よしふみ、並に東國の守介かみすけ、或は鎭守府將軍ちんじゆふしやうぐんに任ぜらる。貞盛國香の子を貞盛さだもりといふ。材武ありて善く射る。左馬允さまのすけと爲る。將門良將の子將門まさかど、性桀黠けつかつなり。攝政せつしやう藤原忠平たゞひらりて撿非違使けびゐしたらんことを求む。忠平省みず。將門怒り、去りて東國にき、相馬さうまさと【相馬の里】下總りて、常陸、下總を劫掠ごふりやくす。時に國香、常陸大掾のだいじようたり。良兼下總介たり。皆將門と𨻶げきあり。天慶の亂承平中、將門つひに國香を攻殺す。將門の京師に在りしとき、甞て敦實あつみ親王【敦實親王】宇多帝子に詣る。從兵五六騎ばかりなり。たま貞盛も亦來りえつし、將門の門を出づるにふ。貞盛人に謂て曰く、「將門必事を天下に生ぜん。今日士卒をひきゐざりしを恨む。し士卒を率ゐたらば、當に之を擊殺すべし」と。是に至りて貞盛官をすてて東し、父のあたを復せんと欲す。良兼及び從弟の良正と、共に將門を攻む。利あらず。貞盛おもへらく、是私鬪なり。敕を受けて、之を討つにかずと。まさに京師に還り、請ふ所あらんとす。將門之を信濃に要擊す。