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じて卒伍に歸す。之が將帥しやうすゐたる者、或は文吏より出でて兵陣に臨み、事畢りて歸り、介冑を脫ぎて衣冠をる。未だ甞て謂ゆる武門武士と云ふ者有ざりしなり。藤原氏外戚ぐわいせきを以て、よゝ政權を執るに及びて、卿相けいさうの位、其族人に非ざれば擬せず。官、品流を論ずること、因習して俗と成る。庶僚しよりやう百揆ひやくき、槪其職をよゝにす。而して將帥の任は、つねに源平二家にゆだぬ。武門の起原是に於て始めて武門の稱あり

光仁、桓武の朝、疆埸多事なり。寶龜中に、廷議して冗兵を汰す。殷富いんぷの百姓、才弓馬に堪ふる者は、專ら武藝を習せて、以て徵發に應じ、其羸弱るゐじやくなる者は、農業にけり。兵農分る而して兵農全く分る

貞觀ぢやうくわん、延喜の後に至りて、百度弛廢しはいし、上下隔絕かくぜつす。奧羽關東の豪民、軍功を以て、六舍人とねりに至る者、或はながら鄕曲を制して、宿衛しゆくゑを勤めず。而れども守令之を能く制するなし。淸行の謂ゆる六軍貙虎くこに非ずして、諸國豺狼さいらうたる者と、所在皆是なり。平居はよろひを藏め馬をたくわへ、儼然げんぜんとしてみづから武士と稱す。武士の起原是に於て始めて武士の稱あり天慶より寬治に馴致す

源平二氏源平二氏しば東邊【東邊】奧羽を鎭ずるや、つねに此輩を用ゐて、以て功効を奏す。而して各習用する所ありて以て相隷屬れいぞくす。因襲いんしうの久しき君臣の如く然り。是より其後いやしくも事あ