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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1602

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大臣に累遷し、右近衞大將うこんゑのたいしやうを兼ね、薨ずるに及びて、正一位大相國だいしやうこくを贈︀り、謚を 賜ふ。其軍職帶ぶる所皆同じ。大納言以前の叙任は、源氏、足利氏の故事こじの如 し。而して天使就きて拜す。天下に布吿するは、大納言より始る。

初め有德公、後世の爲に深く慮り、世祿中に就きて、官俸の增减法を立つ。其二 子を祿するに及びて、復封土を建てず。廩粟りんぞく十萬石を給ひ、てい田安田安たやす一橋一橋ひとつばしに賜 ふ。惇信公、亦例に沿したがひ、其一子を祿し、淸水淸水しみづていし、皆省鄕せいけいと爲す。浚明公、 嗣なきに及びて、今の公、一橋より入りて世子と爲る。名は十一代家齊將軍家齊いへなりと曰ふ。實に有 德公の曾孫なり。職を襲ぐに及びて、復其政を修む。賢に任じ能を使ひ、百廢悉 くあがる。在職最久し。左大臣に累遷し、終に太政大臣に拜す。固く辭して命を得 ず。又世子世子家慶家慶いへよしを以て從一位內大臣に進む。是に於て、掃部頭かもんのかみ井伊直亮なほすけ、越中守 松平定永さだながをして、入朝して思を謝せしむ。

源氏、足利氏以來、軍職に在りて太政の官を兼ねし者︀は、獨公のみ。蓋し武門の 天下を平治すること、是に至りて其盛を極むと云ふ。

外史氏曰く、吾れ甞て江戶に遊び、其城闕の壯、侯伯邸第の夥しきを觀る。旣に して東海︀を歷て尾濃の間に彷徨はうくわうし、北は信越の諸︀山の綿亘重疊として來り、はるか