して配所に死す。靑山宗俊乃其子宗俊を召して用ゐ、晩歲、邑を信濃に賜ふ。面諭して曰
く、「吾が幼時より、汝の父、忠を盡し誠を輸す。吾れ騃にして意と爲さず。之を
して配所に死せしむ。今悔︀ゆとも及ぶ無きなり。猶將に之を汝に報せんとす。
庶幾くは其寃魂を慰めん。今より汝、我が子に事ふること、猶汝が父の我に事へ
しが如くなれ」と。君臣、みな嗚咽す。又大久保忠季に肥前の地八萬石を賜ふ。
其子大久保忠任忠任に及びて終に奮封に復し、再小田原を鎭せしめ、以て父祖︀の寃を白に
す。天下悅服す。
名臣朝に盈つ公の時に當りて、名臣、朝に盈つ。肥後守松平正之、掃部頭井伊直孝、大炊頭
土井利勝、讃岐守酒井忠勝、周防守板倉重宗、伊豆守松平信綱、豐後守阿部忠秋等
其最たり。公の世子たりし時より、信綱、忠秋、侍臣たり。公、甞て屋上の乳雀
を見、近臣に命じて往きて之を捕へしむ。屋、將軍の燕室に係る。衆、敢て往く
なし。松平信綱乃信綱を推めて曰く、「汝、年幼くして体輕し。宜しく往くべし」と。信綱
勉︀强して命に應じ、夜、潜に屋に緣りて之を索め、足を失して庭中に墮つ。謋然
として聲あり。將軍、刀を提げ、夫人、燭を執りて出づ。信綱を見て、其來由を
問ふ。對へて曰く、「臣、雀兒を観て之を愛しみ。窃に來り捕ふるなり」と。將軍