して退く。更相吿げて相警む。堀田正盛堀田正盛、太田資宗等、春日局の緣故を以て、
皆寵任せらる。皆橫邪に至らず。時に承平旣に久しくして、麾下の風習漸奢侈に
趨り、往々自給する能はず。臺德公の薨ずる時、遺金を頒賜し、又周く其俸を加
ふ。婚嫁喪葬、槩皆官より貸るを得たり。而れども猶困乏を吿ぐ。世子家綱世子生れし明
年、敎あり。盡く麾の士人、及び諸︀吏を召す。衆、皆當に慶典あるべしと謂ふ。
公、此日頭痛を患ふ。手巾を以て額を約し、杖に扶けられて出づ。衆に諭して曰
く、「聞く、『汝等困乏極る』と。即明日緩急あらんか、出でて品川に次せんとする
も、亦能くす可からざらん。是の如くば、則汝等、吾を何の地に置かんと欲する
か」と。因りて大息して泣を下す。衆、能く仰ぎ視︀るものなし。酒井忠勝酒井忠勝、側に
在りて颺言して曰く、「諸︀君、仁を恃み恩に狃れ、な上を奉ずる道を忘る。今より以
往假貸を容れず。各自量度りて、公上の念を勞せしむる勿れ」と。衆、心服して
罷む。已にして令を下す、「諸︀士の子弟、年長けて用に堪ふる者︀は、擧げて番士に
充つ」と。因りて俸を賜ふ。新番又新番を置き、大番の子弟を以て之に充つ。又使を
諸︀道に遣し、民の疾苦を問はしめ、數賑恤の典を擧ぐ。臺德公の時、靑山忠俊、
罪を獲て遠江に放たる。公、政を親するに及びて、未だ之を復せらるるに及ばず