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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1588

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かも多し。忠長手づから銃を發し、一鳧を獲て夫人に示す。夫人、悅ぶこと甚し。 命じて之をさいせしめ、臺德公の入るをちてこれを饗す。曰く、「阿國くにの獲る所な り」と。公悅びて之をくらひ、向ひて曰く、「且何の處にて之を得しか」と。つぐさに 對ふるに實を以てす。公、を吐き、怒りて曰く、「何ぞ此の大恠事くわいじを得る。西城 は誰の居る所とおもふか」と。乃其從者︀を罪す。忠長、旣に長じ、元和中、甲斐に 封ぜられ、寬永中、駿河、遠江を增封せらる。旣にして驕恣なり。くわんを臺德公に 失ふ。公之をしりぞけて國に就かしむ。公疾あるに及びて、畋獵でんれうして自如たり。將軍 爲に之を召見せんと請ふ。許さず。公薨ずるに及びて、忠長戚容せきようなく、殺︀をたしな み、喜怒常なし。是に於て、將軍旣にぷくを除きて、乃其封を收めて、之を高崎に 置き、安藤重長城主安藤重長に附す。忠長あらためず。次年、重長、命を受け諷して忠長自殺︀自殺︀せし む。是より駿河、甲斐、直に征夷府に隷す。府兵は是の時、大番おほばん、及び書院しよゐん扈從こしようの兩番あり。かはる駿府をまもる。

十年十年、堀尾氏、嗣なし。國除かる。次年、京極氏を徙封す。後三年、亦嗣なし。 封を收む。其胤子を召して、播磨の地六萬石を賜ふ。

十一年十一年、將軍、入朝す。從一位に進み、右大臣に遷る。初めて京師に町奉行まちぶぎやうを置