ふ。而して最人を選むことを愼む。將軍の幼きとき、忠世、利勝雅樂頭酒井忠世、大炊頭土
井利勝、忠俊伯耆守靑山忠俊を以て傅と爲す。忠世は嚴を以てし、利勝は和を以てし
忠俊は直を以てし、共に心を盡して輔導す。利勝、常に燕樂に侍す。間に乘じて
說きて曰く、「願くは伯耆の言を聞き玉へ。不らずば則雅樂之を何と謂はん」と。
將軍、輙悟る。酒井忠勝酒井忠利の子忠勝、扈從より側用人と爲る。公、又以て傅と爲す
又大に職に稱ふ。
公旣に薨ず。諸︀臣、之を秘せんと欲す。忠勝、以て不可と爲し、卽夜、喪を發
家光す。是に於て、將軍、敎を下して盡く諸︀侯伯を召し、親出でゝ之に面して曰く、
「前將軍薨ぜり。諸︀君或天下を冀望せば、則唯其欲する所のみ。然れども家光旣
に軍職に係る。當に弓箭を以て之を授受すべし」と。諸︀侯、愕然として未だ答へ
ず。伊達政宗伊達政宗進みて言て曰く「孰か德川氏の恩澤を被らざる。今日敢て異心を挾
む者︀あらば、政宗請ひて先往きて之を蹂躪せん」と、衆、聲を同じくして對へて
大目附曰く、「誠に中納言の陳ぶる所の如し」と。乃退く。是の歲、始めて大目附を置
く。專ら監察を掌る。
六月、池田光政池田光政を備前に徙封す。初め光政の父利隆は播磨に封ぜられ、叔父忠雄