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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1585

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まず。而して忠吉忠吉も亦、忠鄰をとし、益之と厚し。江戶に來る每にすなはちに館︀ す。公、同母の故を以て最忠吉を愛す。忠吉、疾病あり。公、みづから其館︀に往きてうかゞ ひ視︀る。使者︀、旦夕往來し、寢食は報に隨ひて加損す。又庶兄の故を以て最秀康 をおもんず。凡西の諸︀侯の會同する者︀、火器︀をもたらすを得ず。秀康秀康、甞て江戶に赴く に、銃隊を具して碓氷關うすひのせきに入る。關吏、呵禁かきんす。秀康曰く、「汝、越前宰相さいしやうを知ら ざるか」と。公、聞きて驚き、吏に命じて問ふこと勿らしめ、自之を迎謝す。其 卒するに及びて、悼惜殊に至る。東照公、甞て義直、賴宣、賴房を以て、公にしよくし て曰く、「我れ百歲の後、善く之を視︀よ」と。公、常に其言をおもふ。三家を愛重す故に特に三家 を愛重す。凡公、宗族、功臣の喪を聞く每に、燕樂えんらくの時と雖、必かたちを變へ、なみだおとす。其出行するときは、卽駕を戒めて止む。則みづから徙御に而して之をめしむ。 甞て行を戒む。漏刻ろうこく、期を報ず。公まさに食す。箸をてゝ出づ。信を守る曰く、「信失ふ可 からざるなり」と。居常耽嗜たんきする所なし。特に儒術を崇び、書及び歌を好む。諸︀ の武技、みな其精︀をきはむ。而して臣下におごらず。故を以て諸︀宿將、豪傑、皆馴服 す。甞て其下に謂て曰く、「織田、豐臣の二子は、喜びて人に事へられたり。家君 は則喜びて人を使ふ。異なる所以なり」と。故を以て諸︀政事、みな東照公になら