コンテンツにスキップ

Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1584

提供:Wikisource
このページは校正済みです

なり。逸︀事甞て禁內に在りて、獨便室にいこ ふ。或人、之をうかゞふ。公の衣冠、肅然しゆくぜん として惰容ある莫し。其東照公に事ふ るや、心を盡して懽を承く。微細の事 に至りても吝稟しりんせざるはなし。關原の 役に、公、事に及ばず。而して兄秀康 弟忠吉、皆功あり。其歲、東照公、諸︀ 大臣を召し、問ひて曰く、「吾れ繼嗣を 定めんと欲す。誰か可なる者︀ぞ」と。 井伊直政は忠吉をたすけ、本多正信は秀 康を右く。大久保忠鄰曰く、「冢子ちよし、資 望已に定る。宜しく動搖どうえうすべからず。 守成ノ器︀且今より以往、撥亂はつらんの才は、守成の器︀ にかざるなり」と。東照公之をうなづ く。公、之を聞きて、直政、正信にふく