七年七年九月、天皇、位を皇女に讓る。諱(いみな) は興子(おきこ)、徳川氏の出なり。是を明正天皇明正(みやうしやう)天 皇と爲す。將軍、酒井忠勝、松平信綱 を遣して之を賀す。詔して、忠勝を以 て少將と爲し、信綱を侍從と爲す。皆 敢て拜せず。幕府に吿げて後受く。
八年八年、始めて少老職を置き、老中を副(たす) け、諸︀の雜事を掌らしむ。
九年九年正月二十四日、秀忠斃す前將軍薨ず。壽五 十四。增上寺(ざうじやうじ)に葬る。
前將軍、位、從一位に至り、官、太政 大臣に至る。正一位大相國(だいしやうこく)を贈︀らる。 臺徳(たいとく)と謚す。二代臺德公臺德公、人と為(な)り、勤 護和厚なり。朝延、外舅の故を以て、 禮秩(れいちつ)、等を異にす。而して公、益小心