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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1581

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人に語りて曰く、「倫をそこなひ、以て名をもとむ。必をはりを全くせざらん」と。駿府の執事しつじ と爲るに及びて、興國寺こうこくじ城の工卒、誤りて公邑の民を殺︀す。邑宰いふさいつぐなひを城主天野康景天野康景あまのやすかげ に求む。康景うけかはず。乃正純に因りて之を訴ふ。東照公、素より康景の忠 良なるを知り、たやすく决せず。正純、康景をひて、速に卒を斬りて之を償はし む。康景、不辜ふこを殺︀すに忍びず。乃封をてゝ出亡す。東照公、之を復せんと欲 す。其病みて卒するに會ひてむ。世、之をゑんとす。有馬晴︀信ありまはるのぶ阿媽港人あまかうじんを誅せ しとき、正純の僚吏れうり岡本大八、晴︀信の賞すくなきをはかるや、あざむきて其貨を取る。事 覺れて罪にいたり、獄中に在りて、晴︀信の陰事を吿ぐ。晴︀信、故を以て敗る。大久 保忠鄰たゞちかゑんも、世、亦以て正純父子の爲す所と爲す。正純、時に小山をやま三萬石を む。將軍の時に及びて、宇都︀宮うつのみや十五萬石を食む。安藤直次曰く、「正純まさに禍︀に及 ばんとす」と。是の歲、使を奉じて山形やまがたに赴き、其壘を增し、ほしいまゝに部屬を殺︀すを 以て、封を收めて放たる。其子弟、前後みな死す。獨叔父正重の後存せり。

九年九年七月、世子家光世子家光、京師にきんす。將軍因りて上書して事を致す。世子、時に正 三位大納言だいなごんたり。八月、入朝し、正二位に進み、內大臣ないだいじんに遷り、征夷大將軍に任

ぜらる。