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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1580

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す。諸︀侯、敢て抗禮するなし。義直は、慈仁なり。賴宣は雄豪なり。賴房は謙遜 なり。賴房はひとり國にかず。譜第ふだい將帥しやうすゐに冠として、幕府を護る。

是の歲、立花宗茂立花宗茂を舊封に復し、松平忠明を郡山こほりやまうつす。大阪を以て鎭府ちんふと爲し 勳舊の一將を遣して之を守らしめ、城代稱して城代じやうだいと爲す、六年六年、京橋きやうはし玉造たまつくりの兩じゆ を置き、大番頭おほばんがしらを遺して、部衆を率ゐてかはるまもらしむ。二條城と同じ。是に於 て、伏見城を毀ち、伏見奉行獨奉行を置き、界浦、奈良、長崎、佐渡に比す。七年七年、將軍 むすめ禁內きんだいれ女御に備ふ。中宮ちうぐうに進み、東福︀門院東福︀門院とうふくもんゐんと稱す。是の歲、田中氏、 嗣なくして國除かる。八年八年秋、最上家親もがみいへちかの後嗣最上義俊義俊よしとし、族屬をぶる能はざるを以す て國除かる。

冬、本多正純を放つ本多正純、罪ありて、出羽︀に放たる。初め正純の父正信、老中らうちうたり。東照公 甞て其封を增さんと欲す。辭して曰く、「臣恩眷おんけんみだりにして、矢石の勞なし。之に 封土を加ふるは、誠に自やすんぜず。願くは其臣に賜ふ者︀を以て、益材武を養ひて、 以て天下を鎭平せよ。而して臣老を其間に送るを得ば、何のたまものか之にかん や」と。遂に二萬石を以てふ。東照公に後るゝこと五旬にして沒す。正純、甞 て關原の役に於て、父を斬りて將軍の過を解かんと請ひ、頗得色あり。安藤直次安藤直次