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を以てす。十七日、疾あらたまる。乃將軍を顧て曰く、「吾れ將に死せ んとす。汝天下を何とおもふ」と。將軍答へて曰く、「將に大 に亂れんとす」と。前將軍曰く、「善し。吾れ以て死す可きな り」と。嫡孫家光いへみつを召して曰く、「汝、他日天下を治むる者︀な り。天下を治むる道は慈に在り」 と。家康薨す乃薨ず。よはひ七十有五。【久能山】駿河久能山くのうざん に葬る。

天皇、卹典じゆつてんを賜ふこと甚厚し。賴宣、就きてべうを建つ。 初め榊原淸政榊原康政の兄淸政、世子信康を輔くし世子信康を輔く。世子敗る ゝに及びて、官をてゝ出亡す。晩に康政に依る。前 將軍、召して祿を賜ひ久能を守らしむ。尋いでしゆつす。 長子淸定きよさだ、留りて宗家そうけに仕ふ。乃少子照久てるひさに父の職祿 を襲がしめ、之を親近す。をはりに臨みて、其膝を枕にし て絕ゆ。榊原照久將軍、因りて照久をして祀事しじを掌らしむ。僧︀ 天海︀請ひて廟を大權現だいごんげんと號す。