閏月十一日、將軍、諸︀侯を率ゐて入朝し、白金萬兩を獻ず。二十七日、兩公、偕
に樂を觀る樂を二條に觀る、振鉾、還城樂、延喜樂、太平樂の諸︀曲を奏す。天下、大に亂
れて、伶官の耗散せしこと數百年。前將軍、招撫すること年あり。終に舊職に復
す。朝廷の樂是より興る。
是より先、前將軍、貞永、建武の式目を參考し、林信勝等と議して、新式十三條新式十三條
を定め、七月七日、諸︀侯を伏見に會し、之を頒ちて曰く、「文武の道は修めざる勿
れ。佚遊群飮は禁ぜざる勿れ。法を犯す者︀は舍す勿れ。反を謀り若くは人を殺︀す
者︀は吿げざる勿れ。諸︀國の民は其所を移す勿れ。私に城郭を築く勿れ。異を立て
て黨を結ぶ者︀は吿げざる勿れ。私に婚姻を結ぶ勿れ。候伯會同するに衞從節︀に過
ぐる勿れ。衣服の差を紊す勿れ。爵位なき者︀は興に乘る勿れ。諸︀將士は儉約を厭
ふ勿れ。國主の人を任ずるに、其器︀を擇ばざる勿れ」と。又關白藤原昭實等と議
し、朝廷式十七條朝廷の式十七條を定む。其略に曰く、「天子は宜しく寬平平遣遺に因りて、
專古道を學び、傍和歌を習ふべし。見任の三公は宜しく諸︀王の上に班すべし。武
家の官位は宜しく公家の員外に在るべし。廷臣の繼嗣は宜しく異姓を取るべから
ず。諸︀の服章は宜しく等を踰ゆべからず。才藝異等、若くは功勞を累ぬる者︀は、