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Page:Hōbun Nihon Gaishi.pdf/1548

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成、其先鋒たり。前將軍、勝成を召して曰く、「我が大和口の先鋒は、汝に非ずし て可なる者︀なし。汝大和の將士をべ、命を用ゐざる者︀あらば、先斬りて後ぶんせよ。 直孝、高虎と、策應さくおうを相爲し、其全勝を期し、つゝしみて一條槍ばんやり故態こたいす勿れ」 と。勝成感謝して出づ。井伊直孝、藤堂高虎、近江、伊勢の兵をて中軍の先鋒 たり。榊原康勝やすかつ、松平康重、小笠原、仙石せんごく諏訪すは保科ほしな丹羽︀にはの諸︀將と之に繼ぎ 河內口より進む。

是より先、城兵、大和ををかす。大和の法隆寺法隆寺ほふりうじに工人中井正次まさつぐと云ふものあり。前 役に東軍の爲に攻具をつくる。城兵之をうらみ、法隆寺ほふりうじを圍みて之をく。二十六日 大野治房も亦、郡山郡山こほりやまあだす。守將筒井定慶つゝいさだよし、守を弃てゝ遁る。水野勝成、進みて 【長池】山城長池ながいけに至りて之を聞き、部下に謂て曰く、「敵若し南都︀をかば、我がはぢたらん」 ど。く馳せて之に赴く。治房、至れども敢てせまらず。遂に退き走る。勝成、追 せふして法隆寺に至る。淺野但馬守、兵五千をて、きた和泉に赴き、佐野さのに至るに 會す。治房等、紀伊の土寇を誘ひ、其後に起らしむ。而して兵二萬をてこれを むかふ。亀田髙綱紀伊の將龜田高綱かめだたかつな曰く、「平地の戰は、すくなき者︀必敗る。宜しく退きて樫井かしゐに 至り、林をおほたにふさぎて陣すべし」と。但馬守、之に從ふ。明日黎明、治房治房の