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と、皆自請ひて從ふ。二十一日、伏見に至る。明日、來りて二條城に謁︀す。前 將軍、二十八日を以て師を出ださんと欲す。將軍、兵未だ全く集らざるを以て しばらく之をたんと請ふ。前將軍曰く、「此役、まさに野戰に決すべし。野戰多きを用 ゐず。乃公、見兵けんべいて先往かん。汝、大衆を合せて之に繼げ」と。將軍曰く、 「兒、此に在りて、大人をして先だゝしめば、世之を何と謂はんや」と。前將軍曰 く、「吾れ老いたり。復事にふ可からず。必衆に先だちて一たび樂戰らくせんせん」と。 正信本多正信、側に侍して曰く、「臣聞く、『軍の先後は地の遠近に在り」と。太公は京 に在り。郞君は伏見に在り。其次已に定れり。太公甚道理なし」と。前將軍、乃 止む。高虎藤堂高虎を召して、攻城の方略をはかる。高虎對へて曰く、「遠に利あり。近 に利あらず。輕兵もて戰をいどみ、其遠く出づるをちて之を擊たば、則敗衄はいぢくの餘 復守志なからん」と。攻城の法定まる前將軍、掌をして曰く、「子が言我が口より出づるが如し」 と。遂に諸︀軍のむかふ所を定む。

【高槻】攝津石川忠總は高槻たかつきを守り、池田利隆、池田忠雄は尼崎あまがさきを守る。其餘の山陽、山陰の 將士は神︀崎かんざきより進み淺野、蜂須賀以下、南海︀の將士は和泉より進む。而して大和 伊勢、美濃の諸︀部は大和ぐちより先進む。少將忠雄、伊達政宗、其すゐたり。水野勝成水野勝