と。成瀨正成對へて曰く、「之を周と謂ふは內外を周くするなり。且和親已に成る
何ぞ隍を用ゐることを爲さん。今內隍を存せんと欲するは、其意如何」と。城中
爭ふ能はず。遂に晨夜、役を督し、歲を超えて畢り、獨牙城の一隍を餘す。
元和元年元和元年正月三日、前將軍、京師を發す。九日、將軍京師に入り、盡く諸︀侯を罷
めて國に就かしめ、安藤直次をして岡崎に追及せしめ、功の竣りしを吿げ、且大
阪再擧の計有るを吿げしむ。居ること五日にして入朝し、又五日にして、東す。
二月、前將軍に中泉に會す。密議して往く。十四日、前將軍は駿府に歸り、將軍
は江戶に歸る。
江戶の士小幡景憲小幡景憲と云ふもの罪あり。出亡して前田氏に仕へ、玉造の戰に衆に
先だちて奮鬪す。城將大野治房之を識る。和成るに及びて潜に誘ふに厚利を以て
す。景憲、佯り應じ、夜入りて治房に見ゆ。治房大に喜び、遂に再擧の計を吿ぐ。
因りて期を約して遣歸す。景憲歸りて、板倉勝重、松平定勝に因りて之を將軍に
啓す。將軍、前將軍と議し、知らざる者︀の爲して、其動息を候はしむ。大阪客兵を募集す大阪益客
兵を召募し、間使を以て景憲を招く。勝重、定勝、これに謂て曰く、「兩公再來り
諸︀軍、復集ること五十日を出でじ。其間城兵或は京師を侵し、至尊を挾みて東に