將軍、岡山に在りて、論功行賞又諸︀將士の功を論賞す。是の役に、井伊直孝の兄直勝、癈疾
にして事に勝へざるを以て、代りて其軍を攝して功あり。將軍、遂に命じて其國
を領せしむ。直孝辭して曰く、「直勝羸と雖、先臣の養士在るあり。君事ある每に
臣これを攝して從ひて可なり。今庶孽を以て嫡長に先だつは、臣の安ぜざる所な
り」と。又安藤直次に因りて力めて請ふ。將軍嘉賞す。而れども許さず。乃彥根
十五萬石を賜ひ、別に邑を直勝に賜ふ。直孝初め直孝ありて民間に育はる。十一歲の
比、强盜數十ありて、其家に入る。輙刀を抜きて一人を斫る。父直政、密に召見
し、常に執る所の軍麾を以て之に授けて卒す。長ずるに及びて、召し用ゐて書院番頭
と爲す。稍大番頭に進む。是に於て、旣に命を拜す。次日、入りて謝す。
徐に進みて、執政本多正信の上に座す。坐者︀、洒然として色を變ず。旣に罷む
正信に謂て曰く、「今日の狀、不恭に類︀するなり。然れども已に故侍從の後を承く
然らざる能はず」と。正信曰く、「公、唯能く然り。是の命ある所以なり。吾れ
窃に郞君の人を知るを慶ぶなり」と。
是に當りて、諸︀工卒已に外隍を塡め、遂に內隍に及ぶ。城中、之を詰りて曰く、
「初め周池を塡めんと約せしは、西南の外壕を謂ふなり。今此に及ぶは、何ぞや」