唯晝間、睡るを得るのみ」と城將大野治房、道頓港の敗を愧ぢて、之に報いん
こと有らんと欲す。時に阿波の兵、本街橋の西に陣す。治房、衣、出でゝ之を襲
ふ。阿波の兵亂れ、死傷頗多し。人乃直孝に服す。
是より先、天皇、大納言藤原兼勝、大納言藤原實條をして、來り勞はしむ。是に
於て、復來りて詔旨を傳へて曰く「卿耋老を以て風雪を戎間に冐す。宜しく事を
諸︀將に委ね、還りて京師に息ふべし。即和議を欲せば、將に秀賴に詔して之を成
さんとす」と。前將軍、稽首して曰く、「臣、少より軍旅に慣ふ。且職分の存する
所、獨逸︀す可からず。聖慮を勞する勿れ。和議に至りては、臣、自之を修めん。
以て天詔を辱くするに足らず。秀賴をして詔を奉ぜしめば、則可なり。若し詔を
奉ぜずば、適に其罪を增さん。臣、則之を誅夷せざるを得ず。是を以て敢て辭
す」と。阿茶局乃女監阿茶をして京師に如かしめ、常光氏を迎ふ。常光氏は京極忠高の
母にして淀君の妹なり。之をして城に入りて和を勸めしむ。工場を經て往く。工
人千百、群を成して、諸︀の攻具を造る。飛橋、轒輼、みな千を以て數ふ。常光城
に入りて、具に淀君に說く。淀君、初め秀賴と倶に城內を巡視︀す。守兵の頗
壯銳なるを見るや、大に喜ぶ。天主閣より東軍を臨む遂に天主閣に上りて東軍を望めば、則極目みな