東南の諸︀將も亦、進みて城に逼る。伊達政宗は川塲に至り、井伊直孝、藤堂高虎
は生玉に至り、空壕に臨みて陣す。城兵諸︀橋を燒く城兵、外城の諸︀橋を燒き、獨淡路、本街、高麗
の三橋を存す。石川忠總、城兵と高麗橋に戰ひ、敵をして燒くを得ざらしめん
と欲す。諸︀巡使、之を救はんと請ふ。前將軍、叱して曰く、「止めよ。我が軍の城
に登らんと欲するに、何ぞ橋を恃まんや。彼れ自出路を斷つのみ」と。忠總をし
て退舍せしめ、遂に諸︀將に令して曰く、「垣を設け牌を列ね、令を竢ちて進み、妄
に鬪ひて一卒を損する勿れ」と。又天寒きを以て糧食を增す。本多正純、命を受
けて、金工光次金工光次を以て介と爲し、書を城中に遺り、織田長益、大野治長をして和
を議せしむ。將軍、之を聞き、來り請はしめて曰く、「圍合へり。請ふ、諸︀軍に令
し、四面より齊しく登らん。天下の兵を以て、一城を攻む。何の抜き難︀きことか
之有らん。和議若し成らば及ぶ可からざるのみ」と。前將軍曰く、「未だし」と。
將軍懌はず。本多正信曰く、「太公必神︀算あらん。願くは少く之を竢て」と。
藤堂高虎、私に書を城上に射て、南條光明南條光明を誘ひ、內應を爲さしむ。光明、期を
約す。事覺れて殺︀さる。藤堂氏の兵、知らずして進み、井伊氏の兵、之に繼ぐ。
加賀、越前の子弟も亦進み、玉造玉造の貳城に逼る。故秀康の庶子直正直正先登し、幟を