等の數十人、巡使たり。大須賀氏の部下久世廣宜
阪部廣勝久世廣宣、阪部廣勝、罪を獲て出亡す。
兵事に老するを以て、收錄せられ、是の役に皆巡使となり、令を諸︀軍に傳ふ。進
退操縱、意の如くならざる莫し。
蜂須賀至鎭、攻めて穢多崎穢多崎を取る。九鬼守隆︀、向井忠勝、水軍を以て敵の候船數
十般を奪ふ。鶴︀野、今福︀の戰上杉景勝、鷸野を攻め、佐竹義宣、今福︀を攻め、みな其柵を破る。
城兵、道を分ち出でゝ拒ぐ。船に銃手を載せて、其中に出で、力戰して交綏く。
已にして城兵、柵守り難︀きを以て、之を奔てゝ退く。將軍、片桐且元をして代り
て入り、備前島に屯せしむ。其最城に近きを以て、屬するに礮手を以てす。
諸︀將、將に博勞淵の二寨を攻めんとす。北寨の下に洲あり。蘆葦を生ず。皆銃卒
を以て之を守る。我軍先蘆洲を取らんと欲す。洲、多く兵を容れず。兵寡けれ
ば、又守る可からず。右川忠總石川忠總は、實に大久保忠鄰の子なり。功を以て父を贖は
んと欲し、乃請ひて手兵を以て往き、舟二隻を得て、鎗を以て棹と爲して濟る。
敵の洲を守る者︀、皆走りて寨に上りて銃を發つ。忠總、仰ぎ攻むること連晝夜。
九鬼氏、舟數十を給し、之を助けて北案を抜く。又蜂須賀氏の援兵を得て、遂に
南寨を抜き、進みて土佐港、阿波坐港を取り、還りて首虜︀を効す。前將軍曰く、