大阪の女使到る八月、且元、治長等來り謝す。女使二人、又淀君の命を奉じて至る。前將軍、二
女使を召して之に謂て曰く、「右府は吾が孫女の婿なり。淀君も亦吾が婦の姊な
り。吾れ豈相負かんや。吾れ右府を視︀ること猶子の如し。而れども右府の我を視︀
ること猶仇讎の如し。聞くが如くば、『大阪日士を招き、甲を繕め、多く糧餉を
峙む』と。吾れ未だ其何の謂なるを知らざるなり。今吾れ在れども、猶此の如
し。况や後世をや。然りと雖、是れ右府母子より出づるに非ず。盖し姦人に詿誤
せらるゝのみ。苟も非を悛め誠を諭さば、則國家無事ならん」と。復銘詞を問
はず。二女大に喜び、遂に江戶に赴き、夫人に候す。
本多正純九月、本多正純、僧︀天海をして且元を責め、誠を輸すの實を以てせしむ。且元、
三策其旨を請ふ。答へず。且元、乃二女と偕に辭し去り、行之を思ひて三策を得た
り。曰く、「淀君を納れて質と爲さん」曰く、「秀賴をして江戶に居らしめん」曰く
「大坂を避けて他に徙らん」と。因りて密に啓して曰く、「母を德川氏に質とする
者︀は、先公の甞て爲しゝ所なり。是を上策と爲す」と。或人、且元は君を賣ると
譖る。淀君大に恚り、群臣と議を決し、且元を誅して兵を擧げんとす。且元、其
且元茨木に奔る邑茨木に奔る。遠近騒然たり。板倉勝重、書を飛ばせて來り報ず。十月朔、報、