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駿府に至る。前將軍まさに諸︀子と散樂さんがくを觀る。【孺子】秀賴報を得て曰く、「孺子じゆし終にさとらざるか 之を除かざるを得ず」と。乃がくを撤し、之を江戶にげしむ。是の春、東の諸︀侯 に課して、高田城高田にきづく。是の秋、西の諸︀侯に課して、江戶を修む。是に於て、皆 罷めて國に就きて、大阪に備へしむ。

秀賴も亦、秀賴兵を慕るます金を散じて兵を募る。關原せきがはらの餘黨、もしくは諸︀藩亡命ぼうめいの者︀、大阪に、四 集す。十萬人號して十萬人と稱す。よもに出で抄掠せうりやくして軍須ぐんすたくふふ。東府の穀︀五萬石、其 城下に在り。【城下】大阪板倉勝重、人をして大野治長に謂はしめて曰く、「之を道路に聞く、 『諸︀公、將に旗鼓の事有らんとす』と。不腆ふてん弊邑へいゝうの穀︀、敢て從者︀をねぎらはん」と。 治長、辭して敢て取らず。勝重乃賈人かじんをして京師に漕送さうそうせしめて、一兵をも勞せ ず。伏見ふしみの留守松平定勝さだかつ、井伊直孝なほたか、勝重と議して、てふを大阪に遣し、悉く消息 を知り、すははち之を東府に報ず。淀、葛葉
【淀】山城
【葛葉】河內
關をよど葛葉くずはに置きて、兵士の往來を撿す。尼崎あまがさき の城主建部たてべ某は、關原の降將なり。池田氏といんあり。前將軍、池田利隆︀としたかに命じて 其戚屬下間重景しもつましげかげを遣し、兵を將ゐて援け守らしむ。片桐且元、已に降を我に れ。將に茨木いばらきより界浦に赴かんとし、大阪の兵と尼崎のほとりに戰ひ、救を重景に求 む。重景、其いつはりを疑ひ、救ふことをうけがはず。且元敗走す。大阪の兵、始合しがふにして