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北兵遂に大に敗走す。追擊して義淸、幸廣を斬り、首を獲しこと千二百きふ

妹尾兼康初め篠原しのはらの戰に、せの兼康かねやす、敵將倉光成澄くらみつなりすみとらへらる。因りて成澄に仕へて親信せらる。今井兼平、義仲に謂て曰く、「彼れの瞻視常に異なり。之を殺すに若かじ」と。義仲聽かず。兼康從容として成澄に說くに、其鄕、妹尾の地の肥美の狀を以てす。成澄乃、義仲に請ひて、往きて之を收む。兼康、嚮導を爲し、先づ往く。其子宗康むねやす以下千餘人を會して、成澄を掩殺し、板倉【板倉】備中の寨に據る。義仲、將に備中に赴かんとす。聞きて怒り、今井兼平をして、來りて兼康を擊たしむ。兼康戰ひ且走り、屋島に赴かんと欲す。宗康、体肥えて行く能はず。兼康之を棄てゝ走る。行くこと里許にして、復、還りて之を視る。追兵せまり至る。乃、宗康を刄して、ころす。義仲、將に屋島を攻めんとす。賴朝の來りて己を討つを聞きて、則東に還る。

室山戰
【室山】播磨
十一月、敎盛、敎經、重衡等、源行家と室山に戰ひ、大に之を破る。山陽、南海の十餘州、來り屬する者多し。

是の時に當りて、義仲兵を縱ちて、京師を暴掠ぼうりやくす。亦事を以て法皇を怨望し、將士に謂て曰く、「汝、其凡人ぼんじんに敵するよりは、寧ろ、王者に敵せよ」と。法住寺戰遂に兵を