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胡爲なんする者ぞ」と。維義、對へずして、三萬騎を以て來り攻む。乃、貞能、高直、種直等を遣して、之をふせぐ。敗れ還る。乃、箱崎に奔り、遂に山鹿にうつる。菊池、原田の諸族皆叛くを聞き、則又柳浦やなぎうらに徙り、宇佐宮に祈る。維義來るを聞き、終に航して遁る。淸經死す淸經、自終に免る可からざるをさとり、夜、舵樓に上りて、月をつゝ笛を吹き、海に投じて死す。

平氏屋島に據る時に長門の國は、知盛の管する所たり。其目代もくだい紀通資きのみちすけ、船百餘艘を献じて、以て讃岐の屋島やしまに徙らしむ。阿波の豪傑田口成能たぐちなりよし、千騎を以て來り附く。且、爲に四國をとなさとすに、順逆を以てす。來り屬する者多し。因りて屋島に行宮を建て、遂に山陽道をとなふ。

閏十月、源義仲、足利義淸、高梨高信、海野幸廣うんのゆきひろを遣し、來り犯さしむ。而して身之に繼ぐ。重衡、通盛、敎經、三百餘艘を以て迎へて、之を擊つ。水島戰水島城【水島城】備中に據る。源氏千餘艘を以て陸を負ふ。敎經、城の東北門より出でゝ、敵を挑む。敵、五千騎を以て來り攻む。敎經、いつはり走る。重衡、通盛、舟師を將ゐて、島の西南より、左右のよくはなちて之をめぐる。敎經、豫、舟を連ね板をき、以て進退に便し、親射て高信を殺す。北兵水戰を習はず。日蝕晦冥に屬し、我が兵之に乘ず。